アイヌの蜂起とは? わかりやすく解説

アイヌの蜂起

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 03:18 UTC 版)

クナシリ・メナシの戦い」の記事における「アイヌの蜂起」の解説

1789年寛政元年)、クナシリ場所請負人・飛騨屋との商取引労働環境に不満を持ったクナシリ場所(国後郡)のアイヌが、クナシリ惣乙名ツキノエの留守中に蜂起し商人商船襲い和人殺害した蜂起よびかけた中でネモロ場所メナシアイヌもこれに応じて和人商人襲った松前藩鎮圧に赴き、また、アイヌ乙名たちも説得に当たり蜂起した者たちは投降蜂起中心となったアイヌ処刑された。蜂起消極的なアイヌ一部和人保護された例もあるが、この騒動和人71人が犠牲となった松前藩は、鎮定直後飛騨屋責任問い場所請負人権利剥奪その後交易新たな場所請負人・阿部村山伝兵衛請け負わせた。一方幕府は、寛政3~4年クナシリ場所やソウヤ場所で「御救交易」を行ったロシア使節アダム・ラクスマン通商求めて根室来航したのは、騒動からわずか3年後寛政4年のことである。 事件から10年経た1799年寛政11年東蝦夷地北海道太平洋岸および千島)が、続いて1807年文化4年和人地および西蝦夷地北海道日本海岸・樺太(後の北蝦夷地)・オホーツク海岸)も公議御料となった

※この「アイヌの蜂起」の解説は、「クナシリ・メナシの戦い」の解説の一部です。
「アイヌの蜂起」を含む「クナシリ・メナシの戦い」の記事については、「クナシリ・メナシの戦い」の概要を参照ください。

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