松宮寒骨とは? わかりやすく解説

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松宮寒骨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/09 00:30 UTC 版)

松宮 寒骨(まつみや かんこつ、1883年(明治16年)- 1968年(昭和43年)は、日本俳人広告研究家。本名および広告学では松宮三郎名義。石川県出身。

経歴

1883年に石川県金沢市で生まれる。開成中学校(現在の開成中学校・高等学校)を経て1908年早稲田大学大学部商科(現在の早稲田大学商学部)卒業。三越呉服店(現在の三越)入社。学生時代から俳句を始め、新傾向俳句の河東碧梧桐に師事、碧梧桐と中村不折が立ち上げた龍眠会に参加。また久米正雄(三汀)や泉天楼、内田易川が立ち上げた碧梧桐派『朱鞘』の同人となった。石井露月の『俳星』にも投句している。のち碧梧桐が立ち上げた『海紅』の同人となり、自由律俳句を詠む。碧梧桐が海紅を去ると、同じく海紅同人だった風間直得を編集長として『東京俳三昧』を創刊。『碧』を主宰していた碧梧桐と合流する形で『三昧』を立ち上げた。しかしその後、主宰が中塚一碧楼となった海紅に戻り、以降は晩年まで海紅に依った。1968年、85歳で没。

広告研究家として

俳人、松宮寒骨は長く三越の広告部長でもあった。その関係で三越の越後屋時代からの広告を研究し、数々の日本の広告や宣伝広報に関する著作を、本名の松宮三郎名義で世に送り出した。また上智大学専門部新聞科(現在の上智大学文学部新聞学科)創設時からの講師(広告論)を始め、母校の早稲田大学でも、創成期よりの早稲田大学広告研究会との関わりから、広告学を教えている。

著作

  • 『駿河町』(1915年)
  • 『販売学講話』(早稲田大学出版部・1923年)
  • 『新聞全集 第8巻』(新聞之新聞社・1931年)
  • 『広告実務』(東洋出版社・1935年)
  • 『広告生活二十年』(誠文堂新光社・1935年)
  • 『すぐ利く広告』(三笠書房・1938年)
  • 『宣伝心理学』(白揚社・1948年)
  • 『広告文化の課題』(千葉商事・1948年)
  • 『小売商店の広告』(和平書房・1950年)
  • 『小売商店の最新経営』(和平書房・1950年)
  • 『新宣伝広告読本』(双龍社・1950年)
  • 『市場占拠と広告問題』(正統社・1950年)
  • 『宣伝広告の仕方』(金園社・1956年)
  • 『お客応対の仕方』(金園社・1957年)
  • 『江戸の看板』(東京看板工業協同組合・1959年)
  • 『江戸の物売』(東峰書房・1968年)
  • 『江戸歌舞伎と広告』(東峰書房・1968年)

参考文献

  • 『明治大正俳句史話』(村山古郷角川書店)
  • 『昭和俳壇史』(村山古郷・角川書店)
  • 『自由律俳句作品史』(田都史、永井龍太郎・永田書房)
  • 『昭和初期新聞ジャーナリズム論集』(ゆまに書房)
  • 『上智大学新聞学科40年の歩み』(川中康弘)
  • 『北海道文学大辞典』(北海道文学会)

関連項目

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