軍学者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/08 09:59 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動軍学者(ぐんがくしゃ)は、軍学の研究者のことである。主に近世日本の研究者に使われることが多い。江戸時代、兵乱が収まると、兵法、築城に関して学問としての研究が盛んになる。これを修めた者を一般的に軍学者と称した。
軍学者一覧
近代以前の軍学者
- 楠木正成 - 楠木流軍学の祖と位置づけられている。
- 山本勘助 - 『甲陽軍鑑』を通じて甲州流軍学の祖と位置づけられている。
- 宇佐美定満 - 『北越軍談』を通じて越後流軍学の祖と位置づけられている。
- 小幡景憲 - 甲州流軍学を大成。
- 北条氏長 - 北条流軍学を創始。
- 山鹿素行
- 片山良庵
- 渋江正真
- 楠木正辰
- 窪田清音 - 幕府講武所頭取兼兵学師範役。山鹿流を軸に、甲州流、越後流、長沼流を兼修。
- 由井正雪
- 吉田松陰
- 武田観柳斎
- 大村益次郎
現代の軍学者
- 兵頭二十八;自称として軍学者を名乗っている。
関連項目
軍学者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/29 07:17 UTC 版)
小幡景憲から甲州流軍学を学び、それを改良し北条流兵法を開いた。近藤正純・富永勝由・梶定良らとともに「小幡門四哲同学」として名が挙がっている。 『兵法雄鑑』『雌鑑』『士鑑用法』など多くの軍学関係の書籍を残しており、また幕府の軍制を整備して慶安の軍役令を起草している。 氏長の兵法の特徴はまず、それまでの“軍学”や“軍法”といった言葉ではなく兵法という言葉を用いたことである。これまでの軍法は抽象的、概念的なものや武士の心得といったものが多分に含まれていたが、氏長の兵法は「実践に役立つ軍事学のみ」であった点が大きい。 例えばこうである。 篭城してる時、敵が銃弾や弓矢を撃ってくる時、負けじと反撃するのは損である。そういう時は敵はいきなりは襲ってこないものである。攻め手兵がこちらの石垣や塀に取り付いている時こそ、矢玉を使うチャンスである。身を乗り出してでも撃つべきである。なぜなら攻め手側の射撃手は“味方兵に当たるのを恐れて”撃ってこないから。 慶安3年(1650年)には、後述するオランダ東インド会社に勤務していたスウェーデン人砲兵士官のユリアン・スハーデルによる攻城実演をまとめ上げた日本初の洋式攻城・築城術書『攻城 阿蘭陀由里安牟(オランダ・ユリアン)相伝』を将軍家光に献上している。
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軍学者と同じ種類の言葉
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