軍官学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 09:38 UTC 版)
1939年(康徳6年)には、新京特別市に陸軍軍官学校が設立され、将校養成を担った。満系生徒のほか、日系生徒(ここでは内地人の他に朝鮮人、台湾人も含まれる)も入学した。第1期入学生徒中で日系生徒は172名にも上る。 朝鮮人の受験生に対しても優遇措置が取られていた。後に韓国大統領になった朴正煕は、国民学校訓導であった23歳当時に、資格年齢が16歳以上19歳以下である満洲国軍官学校の願書を提出し、2度資格不足で受験できなかったが、3度目には、志願書とともに「日本人として恥ぢざるだけの精神と氣魄とを以て一死御奉公の堅い決心でございます」などと記した血書を提出したため、特別に日系枠の採用試験の受験が許可され、合格・任官している。 地理的な近さから軍官学校生徒には朝鮮人が少なくなかった。彼らの多くは第二次世界大戦後に創設された韓国軍に入隊し、日本陸軍出身者と共に韓国軍の基幹となる。また大統領となった朴正煕や国会議長・国務総理などを歴任した丁一権など、政治家として活躍した人物もいる。 軍官学校出身者の中には、既に中国共産党の情報員である呂殿元を中心に満洲からの日本の勢力の排除と主権回復を目指す秘密結社「東三省主権領土恢復会」を結成する者もいた。結社に参加した卒業生は、全員前線ではなく江上軍に配属されたが、彼らは江上軍の将兵を感化したため、江上軍は終戦直前に日本人将校を殺害して解散した。
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