戸次庄左衛門とは? わかりやすく解説

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べつき‐しょうざえもん〔‐シヤウザヱモン〕【戸次庄左衛門】

読み方:べつきしょうざえもん

[?〜1652]江戸初期軍学者。姓は別木とも書く。浪人仲間とともに増上寺での徳川秀忠夫人法要機会挙兵はかったが、事前に発覚浅草で磔(はりつけ)に処された。


別木庄左衛門

(戸次庄左衛門 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/15 01:24 UTC 版)

別木 庄左衛門(べっき しょうざえもん、? - 承応元年9月21日1652年10月23日))は、江戸時代前期の牢人承応の変の首謀者。姓は戸次とも表記される。

経歴

元は越前国大野藩士で200石を領したが、浪人となって江戸に出て、軍学を講じた。

1652年崇源院徳川秀忠正室)の27回忌が増上寺で催されるのを期して、林戸右衛門・三宅平六・藤江又十郎・土岐与左衛門等と共に、江戸市中に放火、江戸幕府首脳を暗殺しようと企てたが、密告によって露見し、同志と共に磔刑に処せられた(承応の変)。

この頃、前年には由井正雪らの慶安の変が起こるなど、大名取り潰しなどに伴う牢人増加が、大きな社会問題となっていた。

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