伝流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 12:00 UTC 版)
鎌倉時代には河内本が優勢で、今川了俊などは「青表紙本は絶えてしまった。」と述べていたほどだったが、室町時代半ば頃から藤原定家の流れを汲む三条西家の活動により青表紙本が優勢になり、逆に河内本の方が消えてしまったかのような状況になった。ただし、このとき普及した三条西家系統の青表紙本は、純粋な青表紙本と比べると河内本等からの混入が見られる本文であった。 江戸時代に入ると、版本による『源氏物語』の刊行が始まった。その際、多くは青表紙系統の本文であった。『伝嵯峨本源氏物語』、『絵入源氏物語』、『首書源氏物語』、『源氏物語湖月抄』等の版本も広い意味での青表紙本系統であり、多くの場合三条西家系統の青表紙本系の本文にさらに河内本や別本からの混入が見られるものであった。明治時代に入って活字本が出版されるようになってもこの状況はしばらく続き、与謝野晶子によるものなど、当時の現代語訳もこれらの本文を元に作られていた。 このように普及した青表紙系本文であったが、あまりにも広く普及し過ぎたために、大筋では同じであるものの細かいところが異なるきわめて多くの写本が存在し、そのどれが元の形なのかわからない状況であり、良質の青表紙系の本文を保存した古写本は存在しないといわれてきた。そのため、池田亀鑑は当初河内本系統の写本を元に学術的な校本を作ろうとし、一度は完成間近まで作業は進行した。しかしながら明治末期ころから本格的な古写本の所在の調査とその比較が始まり、大島本など良質な本文を持つとされる古写本がいくつも発見されることにより、青表紙本を元に校本を作成することが可能になった。そしてそれらを基準として『校異源氏物語』や『源氏物語大成校異編』といった学術的な校本が作成された。
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