ナポリ王家による請求
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「エルサレム国王一覧」の記事における「ナポリ王家による請求」の解説
女王イザベル1世とその四番目の夫であるアモーリー2世の娘のメリザンド・ド・キプロス(英語版)は、アンティオキア侯ボヘモンド4世(英語版)とその二番目の妻であった。メリザンドの娘であるマリー・ド・アンティオキア(英語版)は、女王イザベル1世の孫であり、コンラート3世 の死亡時に、マリーは女王イザベル1世の孫では、唯一の存命者となっていた。 そのため、1269年から1277年 まで、マリーは血縁関係(英語版)を根拠にエルサレム王位を請求し続けた。しかし、王位請求権を有力者会議(英語版)に否定されるとマリーはローマに行き、その権利を1277年に教皇から祝福を得て、承認されたシャルル・ダンジューに売り渡した。これ以降、エルサレム王国に対するこの請求は同時に、ナポリの王冠に付属するものとして、相続よりも遺言ないしは征服によって請求権者がしばしば変わった。 アンジュー=シチリア家 カルロ1世 1277年–1285年; 王位請求権を1277年に獲得、ローマ教皇より承認される。 カルロ2世 1285年–1309年 ロベルト 1309年–1343年 三男だが存命の年長男子であり、長兄に代わり、ナポリ王位を継承した。 ジョヴァンナ1世・ダンジョ 1343年–1382年 ジョヴァンナ1世は遺言で以前に自らの後継者と見做したハンガリー国王 ラヨシュ1世に自身の王国を託したが、同族のカルロ3世によって追放されて絞殺された。 アンジュー=ドゥラツォ家: アンジュー家の嫡流による請求 : カルロ3世 (ドゥラツォ公) 1382年–1386年 ラディズラーオ1世 1386年–1414年 ジョヴァンナ2世・ダンジョ 1414年–1435年 ジョヴァンナ2世は遺言で自身の王国を庶流のルネ・ダンジューに託した。 ヴァロワ=アンジュー家: アンジュー家の庶流による請求 : ルイ1世・ダンジュー 1382年–1384年 ルイ2世・ダンジュー 1384年–1417年 ルイ3世・ダンジュー 1417年–1434年 ヴァロワ=アンジュー家 ルネ・ダンジュー 1434年–1480年 ルネはアンジュー家による嫡流と庶流の請求権を統合した。しかしながら1441年、ジョヴァンナ2世が以前に養子とし(その後に縁を切った)、アラゴン国王兼シチリア国王アルフォンソ5世はナポリに進撃してこれを占領した。そのため、これ以降アルフォンソ5世もエルサレム王位を請求した。 ルネの孫のルネ2世がバール公領を相続する一方、甥のシャルル5世・ダンジューがシチリア及びエルサレム王位請求権を引き継ぎ、その後、従兄弟のフランス王ルイ11世に託された。 アラゴン王家による請求: アルフォンソ1世 1442年–1458年、ナポリ征服による フェルディナンド1世 1458年–1494年、庶子、遺言による アンジュー=ロレーヌ家による請求:ヴァロワ=アンジュー家 ヨランド・ダンジュー 1480年–1483年 ロレーヌ家 ルネ2世 1480年–1508年 1493年まで称号を採用せず。 アントワーヌ 1508年–1544年 フランソワ1世 1544年–1545年 シャルル3世 1545年–1608年 アンリ2世 1608年–1624年 ニコレッタ 1624年–1657年、夫のシャルル3世 フェルディナンド1世・フィリップ 1657年–1659年 シャルル5世 1659年–1690年 レオポルト 1679年–1729年、1700年に称号を再開する。 フランツ・シュテファン 1729年–1765年 ハプスブルク=ロートリンゲン家 ヨーゼフ2世 1765年–1790年 レオポルト2世 1790年–1792年 フランツ2世 1792年–1835年 フェルディナント1世 1835年–1875年 フランツ・ヨーゼフ1世 1875年–1916年 カール1世 1916年–1922年 オットー・フォン・ハプスブルク 1922年–2007年 カール・ハプスブルク=ロートリンゲン 2007年–現在 フランス王家による請求:ヴァロワ=アンジュー家 シャルル4世・ダンジュー 1480年–1481年 ルネの男子相続人、名ばかりにエルサレム及びシチリア王 ヴァロワ家 ルイ11世 1481年–1483年 一等親の従兄弟、遺言による。 シャルル8世 1483年–1498年 1494年に シャルル8世はルイ2世・ダンジューの曾孫としてナポリ及びエルサレム王位を請求して進軍した。1495年にナポリを征服して国王として戴冠した。 ヴァロワ=オルレアン家 ルイ12世 1498年–1515年 ルイ12世は請求権を得たが、ナポリ王家の近縁の子孫であるという点が欠けていた(ルイ12世はカルロ2世の長女の子孫)。ルイ12世は1500年–1504年まで征服したナポリの一部を継承した。しかし他のフランス王でエルサレム王の称号を用いた者はいなかった。 アルフォンソ2世 1494年–1495年 フェルディナンド2世 1495年–1496年 シャルル8世により短期間王位を失う。 フェデリーコ1世 1496年–1501年 叔父、統治期間中にナポリは継承権を主張するルイ12世とフェルディナンド2世(1504年までフェデリーコ1世とルイ12世の両方を追放して継承の同盟軍に侵入された。 フェルナンド2世 1504年–1516年 (征服と教皇の封土下賜状による) - コンスタンサ・デ・シシリア とペドロ3世の原アラゴン王家の請求の相続人 カルロス1世 1516年–1554年 フェリペ2世 1554年–1598年 フェリペ3世 1598年–1621年 フェリペ4世 1621年–1665年 カルロス2世 1665年–1700年 スペイン・ブルボン家による請求: フェリペ5世 1700年–1724年 (遺言による) 統治期間中にスペイン王位請求者カルロス3世によって1707年にナポリを、同じくエルサレム王の称号を与えられたヴィットーリオ・アメデーオ2世(上記を参照のこと)によってシチリア(後にサルディーニャ島に交換)をそれぞれ奪われた。フェリペ5世はそれにも係わらず両シチリア及びエルサレム王の称号を用い続け、それは以後も全てのブルボン家のスペイン王によって使用された。 ルイス1世 1724年 フェリペ5世 1724年–1746年 フェルナンド6世 1746年–1759年 カルロス3世 1759年–1788年 1734年以降は両シチリア王の称号を使用。 カルロス4世 1788年–1808年 フェルナンド7世 1808年–1833年 イサベル2世 1833年–1870年 アルフォンソ12世 1870年-1885年 アルフォンソ13世 1886年–1941年 バルセロナ伯フアン 1941年–1977年 フアン・カルロス1世 1977年–2014年 フェリペ6世 2014年–現在 ハプスブルク家による請求 : カール6世 1702年–1740年, フェリペ5世に対抗してスペイン王位を請求、1734年に後のカルロス3世 に対してナポリ王国及び自身が所持していたナポリ及びエルサレム王位の称号を放棄した。 両シチリア王家による請求 : カルロ7/5世 1734年–1788年 カルロス3世は条約でスペインと両シチリアを合同しないことを義務付けられ、息子のフェルディナンド1世に両シチリアの統治を委ねた。しかしながらスペイン王は両シチリア及びエルサレム王の称号を使用し続けた。 フェルディナンド1世 1759年–1825年 フランチェスコ1世 1825年–1830年 フェルディナンド2世 1830年–1859年 フランチェスコ2世 1859年–1894 年 両シチリア王国は1860年に新イタリア王国に征服され吸収された。フランチェスコ2世及びその後継者は両シチリア及びエルサレム王の称号を用い続けた。 カゼルタ伯アルフォンソ 1894年–1934年 カラブリア公フェルディナンド・ピウス 1934年–1960年、死後に二つに分裂した。 長系 : カラブリア公アルフォンソ 1960年–1964年 カラブリア公カルロ 1964年–2015年 カラブリア公ペドロ(英語版) 2015年–現在 次系: カストロ公ラニエーリ 1960年–1966年 カストロ公フェルディナンド・マリア 1966年–2008年 カストロ公カルロ 2008年–現在
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