ナポリ王家による請求とは? わかりやすく解説

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ナポリ王家による請求

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 05:30 UTC 版)

エルサレム国王一覧」の記事における「ナポリ王家による請求」の解説

女王イザベル1世その四番目の夫であるアモーリー2世の娘のメリザンド・ド・キプロス(英語版)は、アンティオキア侯ボヘモンド4世英語版)とその二番目の妻であったメリザンドの娘であるマリー・ド・アンティオキア(英語版)は、女王イザベル1世の孫であり、コンラート3世死亡時にマリー女王イザベル1世の孫では、唯一の存命者となっていた。 そのため、1269年から1277年 まで、マリー血縁関係英語版)を根拠エルサレム王位請求し続けた。しかし、王位請求権有力者会議英語版)に否定されるマリーローマ行き、その権利1277年教皇から祝福得て承認されシャルル・ダンジュー売り渡した。これ以降エルサレム王国対するこの請求同時にナポリ王冠付属するものとして、相続よりも遺言ないしは征服によって請求権者がしばしば変わったアンジュー=シチリア家 カルロ1世 1277年1285年; 王位請求権1277年獲得ローマ教皇より承認されるカルロ2世 1285年1309年 ロベルト 1309年1343年 三男だが存命年長男子であり、長兄代わりナポリ王位を継承したジョヴァンナ1世・ダンジョ 1343年1382年 ジョヴァンナ1世遺言以前に自らの後継者見做しハンガリー国王 ラヨシュ1世自身王国託したが、同族カルロ3世によって追放されて絞殺された。 アンジュー=ドゥラツォ家: アンジュー家嫡流による請求 : カルロ3世 (ドゥラツォ公) 1382年1386年 ラディズラーオ1世 1386年1414年 ジョヴァンナ2世ダンジョ 1414年1435年 ジョヴァンナ2世遺言自身王国庶流ルネ・ダンジュー託したヴァロワ=アンジュー家: アンジュー家庶流による請求 : ルイ1世・ダンジュー 1382年1384年 ルイ2世・ダンジュー 1384年1417年 ルイ3世・ダンジュー 1417年1434年 ヴァロワ=アンジュー家 ルネ・ダンジュー 1434年1480年 ルネアンジュー家による嫡流庶流請求権統合したしかしながら1441年ジョヴァンナ2世以前養子とし(その後に縁を切った)、アラゴン国王シチリア国王アルフォンソ5世ナポリ進撃してこれを占領した。そのため、これ以降アルフォンソ5世エルサレム王位請求したルネの孫のルネ2世バール公領相続する一方、甥のシャルル5世・ダンジューシチリア及びエルサレム王位請求権引き継ぎその後従兄弟フランス王ルイ11世託された。 アラゴン王家による請求: アルフォンソ1世 1442年1458年ナポリ征服による フェルディナンド1世 1458年1494年庶子遺言による アンジューロレーヌ家による請求:ヴァロワ=アンジュー家 ヨランド・ダンジュー 1480年1483年 ロレーヌ家 ルネ2世 1480年1508年 1493年まで称号採用せず。 アントワーヌ 1508年1544年 フランソワ1世 1544年1545年 シャルル3世 1545年1608年 アンリ2世 1608年1624年 ニコレッタ 1624年1657年、夫のシャルル3世 フェルディナンド1世フィリップ 1657年1659年 シャルル5世 1659年1690年 レオポルト 1679年1729年1700年称号再開するフランツ・シュテファン 1729年1765年 ハプスブルク=ロートリンゲン家 ヨーゼフ2世 1765年1790年 レオポルト2世 1790年1792年 フランツ2世 1792年1835年 フェルディナント1世 1835年1875年 フランツ・ヨーゼフ1世 1875年1916年 カール1世 1916年1922年 オットー・フォン・ハプスブルク 1922年2007年 カール・ハプスブルク=ロートリンゲン 2007年–現在 フランス王家による請求:ヴァロワ=アンジュー家 シャルル4世・ダンジュー 1480年1481年 ルネ男子相続人名ばかりエルサレム及びシチリア王 ヴァロワ家 ルイ11世 1481年1483年 一等親従兄弟遺言よる。 シャルル8世 1483年1498年 1494年シャルル8世ルイ2世・ダンジュー曾孫としてナポリ及びエルサレム王位請求して進軍した1495年ナポリ征服して国王として戴冠したヴァロワ=オルレアン家 ルイ12世 1498年1515年 ルイ12世請求権得たが、ナポリ王家の近縁の子孫であるという点が欠けていた(ルイ12世カルロ2世長女の子孫)。ルイ12世1500年1504年まで征服したナポリ一部継承した。しかし他のフランス王エルサレム王の称号用いた者はいなかった。 アルフォンソ2世 1494年1495年 フェルディナンド2世 1495年1496年 シャルル8世により短期間王位を失う。 フェデリーコ1世 1496年1501年 叔父統治期間中にナポリ継承主張するルイ12世フェルディナンド2世1504年までフェデリーコ1世ルイ12世両方追放して継承同盟軍侵入された。 フェルナンド2世 1504年1516年 (征服教皇封土下賜状による) - コンスタンサ・デ・シシリアペドロ3世の原アラゴン王家の請求相続人 カルロス1世 1516年1554年 フェリペ2世 1554年1598年 フェリペ3世 1598年1621年 フェリペ4世 1621年1665年 カルロス2世 1665年1700年 スペイン・ブルボン家による請求: フェリペ5世 1700年1724年 (遺言による) 統治期間中にスペイン王請求者カルロス3世によって1707年ナポリを、同じくエルサレム王の称号与えられヴィットーリオ・アメデーオ2世上記参照のこと)によってシチリア(後にサルディーニャ島交換)をそれぞれ奪われた。フェリペ5世はそれにも係わらず両シチリア及びエルサレム王の称号用い続け、それは以後全てのブルボン家スペイン王によって使用された。 ルイス1世 1724年 フェリペ5世 1724年1746年 フェルナンド6世 1746年1759年 カルロス3世 1759年1788年 1734年以降両シチリア王の称号使用カルロス4世 1788年1808年 フェルナンド7世 1808年1833年 イサベル2世 1833年1870年 アルフォンソ12世 1870年-1885年 アルフォンソ13世 1886年1941年 バルセロナ伯フアン 1941年1977年 フアン・カルロス1世 1977年2014年 フェリペ6世 2014年–現在 ハプスブルク家による請求 : カール6世 1702年1740年, フェリペ5世対抗してスペイン王位を請求1734年に後のカルロス3世 に対してナポリ王国及び自身所持していたナポリ及びエルサレム王位称号放棄した両シチリア王家による請求 : カルロ7/51734年1788年 カルロス3世条約スペイン両シチリア合同しないことを義務付けられ息子フェルディナンド1世両シチリア統治委ねたしかしながらスペイン王両シチリア及びエルサレム王の称号使用し続けたフェルディナンド1世 1759年1825年 フランチェスコ1世 1825年1830年 フェルディナンド2世 1830年1859年 フランチェスコ2世 1859年1894 年 両シチリア王国1860年に新イタリア王国征服され吸収された。フランチェスコ2世及びその後継者は両シチリア及びエルサレム王の称号用い続けたカゼルタアルフォンソ 1894年1934年 カラブリア公フェルディナンド・ピウス 1934年1960年死後二つ分裂した。 長系 : カラブリア公アルフォンソ 1960年1964年 カラブリア公カルロ 1964年2015年 カラブリア公ペドロ英語版2015年–現在 次系: カストロラニエーリ 1960年1966年 カストロ公フェルディナンド・マリア 1966年2008年 カストロカルロ 2008年–現在

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