ナポリ継承戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 02:58 UTC 版)
「アルフォンソ5世 (アラゴン王)」の記事における「ナポリ継承戦争」の解説
1432年に再びナポリ王位継承権を要求したが、教皇エウゲニウス4世を始め、ミラノ公フィリッポ・マリーア・ヴィスコンティ(イタリア語版、英語版)、ジェノヴァ、ヴェネツィア共和国、フィレンツェ共和国といったイタリア諸国に反対され挫折した。ルイ3世はジョヴァンナ2世に先立って1434年に死去、翌1435年にジョヴァンナ2世も死去した後、ナポリ王位をルイ3世の弟ルネが継承すると、アルフォンソ5世はカタルーニャ艦隊を率いて再度地中海遠征を敢行、宿敵ジェノヴァにポンツァ島で海戦を挑んだ(ポンツァ島の戦い(英語版))。結果はアラゴンの大敗で、アルフォンソ5世はミラノ公の捕虜となった。しかしミラノ公へ身代金を支払い、相互支援の密約も取り付けたため釈放され、ナポリ王位獲得のチャンスが再び巡ってきた。 釈放後7年間はルネやその妻イザベル・ド・ロレーヌとナポリを奪い合う戦争を繰り広げた。ルネにはエウゲニウス4世の支持があったが、アルフォンソ5世は反ルネ派のナポリ貴族とミラノ公からの支持、およびアラゴン本国の支援で戦い抜き、1442年にルネをナポリから駆逐し、王位を獲得した。翌1443年にボルハの外交交渉でエウゲニウス4世とも和睦、ナポリ王位を承認された。こうしてナポリはアラゴン連合王国に組み入れられた。
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