ナポリ王即位後とは? わかりやすく解説

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ナポリ王即位後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 02:58 UTC 版)

アルフォンソ5世 (アラゴン王)」の記事における「ナポリ王即位後」の解説

ナポリ王国獲得以後アルフォンソ5世は死ぬまでナポリ留まりアラゴンカタルーニャには戻らなかった。連合王国中心ナポリ移り支持者地元貴族特権与え彼らの勢力増大させた。一方、各王国国王任免出来総督副王)を設置総督統べる国王顧問会議司法行政中枢ボルハなどアラゴン・カスティーリャ人を登用して支配基盤固めた文化奨励されアルフォンソ5世古典文学フランドル絵画初期フランドル派)や彫刻などに関心寄せファン・エイク兄弟ドナテッロなどの作品収集キケロウェルギリウスセネカ著作にも親しみ図書館造営しサロン形成人文主義者パトロンとして彼らを保護ナポリ宮廷には文人芸術家たちが集められルネサンス文化が花開いた。やがてそれはイベリア半島にもルネサンス普及するきっかけとなったアルフォンソ5世アラゴン顧みない態度取ったことは、アラゴン混乱助長させた。アラゴンカタルーニャ統治は弟フアン王妃マリア委ねられたが、フアンナバラ王になるとマリア単独摂政として統治責任増大したまた、ナポリ元来領土ではなかったため王領財政基盤がなく、アラゴン連合王国ナポリ財政支援して窮乏する羽目に陥り、階層間の対立深刻化していった。マリアからはアラゴン戻ってほしいと手紙懇願されるも、アルフォンソ5世無視し続けたばかりかイタリアさらなる紛争仕掛け、チュニジア・エジプト遠征オスマン帝国侵略晒されバルカン半島救援実現せず)、ミラノ後継者争い介入してフィレンツェ対立1450年休戦)、とイタリア覇権をかけて積極的に動いていった。また、フアン息子ビアナ公カルロスが父と不仲になると、彼をナポリ迎え入れている。 アルフォンソ5世の下で多大な貢献果たしたボルハに対してバレンシア司教任命枢機卿就任後押し報いた。しかし彼が1455年教皇カリストゥス3世として即位すると、十字軍イタリア権益巡って対立した奇しくもアルフォンソ5世死去した1458年カリストゥス3世死去した。 ともにノルマン・シチリア王国後継国家であるシチリア王国トリナクリア王国)とナポリ王国の王を兼ねたアルフォンソ5世は「両シチリア王」(羅: Rex Utriusque Siciliae)を称したが、両王国再統合したわけではなかった。アルフォンソ5世死後、甥であるフェルナンド2世ビアナ公カルロス異母弟)が1504年再征服を行うまでの間、ナポリ王国は再び独自の王を戴くことになった1458年ナポリ死去したマリアとの間に嫡子はなく、アルフォンソ5世死後ナポリ王位を庶子フェルディナンド1世継承しアラゴンシチリアなどの君主位はナバラ王となっていた弟フアン2世継承した

※この「ナポリ王即位後」の解説は、「アルフォンソ5世 (アラゴン王)」の解説の一部です。
「ナポリ王即位後」を含む「アルフォンソ5世 (アラゴン王)」の記事については、「アルフォンソ5世 (アラゴン王)」の概要を参照ください。

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