グアスタッラ公国とは? わかりやすく解説

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グアスタッラ公国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/26 19:01 UTC 版)

グアスタッラ公国
Duchêt ed Guastâla (エミリア・ロマーニャ語)
1621年 - 1748年
(紋章)

グアスタッラ公国の地図(1700年)
言語 エミリア語
宗教 ローマ・カトリック
首都 グアスタッラ
1621年 - 1632年 フェランテ2世・ゴンザーガ
1729年 - 1746年 ジュゼッペ・マリーア・ゴンザーガ
変遷
公国に昇格 1621年
パルマ公国に併合 1748年
現在 イタリア

グアスタッラ公国: Ducato di Guastalla)は、イタリア統一前に存在した国家で、元は伯爵領として形成された。

グアスタッラ伯領は、当初はイタリア北部グアスタッラの街を首都とした領地であった。伯爵の称号は1406年にグイード・トレッリのために設けられ、1539年まではその子孫が代々所領を治めてきたが、経済的な問題でやむなく売却することになり、フェランテ1世・ゴンザーガにより買い取られることとなった。

別の血統のグアスタッラ家は1612年までモンテキアルーゴロ伯領(1456年にグアスタッラ伯領から分割)を治めた。

フェッランテ・ゴンザーガの子孫は1746年までグアスタッラを治め、1621年には公爵の称号に格上げされていた。最後の公であるジュゼッペ・マリーアは1746年に後継者を残さずに亡くなり、グアスタッラ公国はオーストリアマリア・テレジア治下のロンバルディアに吸収されることとなった。

アーヘンの和約により、グアスタッラは最終的にパルマ公国に属すこととなり、イタリア王国に統合される1859年までその領土として扱われることとなった。

グアスタッラの僭主(1307年 - 1406年)

ミラノ公国帰属 (1346-1403)

グアスタッラ伯(1428年 - 1621年)

トレッリ家による分割統治第一期 (1456)
  • ピエトロ・グイード1世・トレッリ 1456-1460
  • グイード・ガレオット・トレッリ (Guido Galeotto Torelli) 1460-1480
トレッリ家による分割統治第二期 (1480)

グアスタッラ公(1621年 - 1746年)

ミラノ公国に帰属 (1678-1693)
フランス王国に帰属 (1702-1704)
  • ヴィンチェンツォ・ゴンザーガ 1704-1714
  • アントーニオ・フェルディナンド・ゴンザーガ (Antonio Ferdinando Gonzaga) 1714-1729
  • ジュゼッペ・マリーア・ゴンザーガ (Giuseppe Maria Gonzaga) 1729-1734
フランス王国に帰属 (1734-1738)
  • ジュゼッペ・マリーア・ゴンザーガ 1738-1746
最終的にパルマ公国に属す

グアスタッラ公(1805年 - 1813年)

関連項目




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