グアスタッラ伯国/公国とは? わかりやすく解説

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グアスタッラ伯国/公国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 04:06 UTC 版)

グアスタッラ」の記事における「グアスタッラ伯国/公国」の解説

1406年、テルツィ家はマントヴァ出身のグイード・トレッリ (it:Guido Torelli) にこの土地譲り1539年までトレッリ家 (it:Torelli (famiglia)) によって治められることになる。1428年にはグイード・トレッリにグアスタッラ伯爵称号与えられた。グアスタッラ伯爵領の中心となり、宮殿・城・教会広場などの都市空間整備されルネサンス都市として面目一新した1522年没したアキッレ・トレッリ (it:Achille Torelli, conte di Guastalla) に男子はなく、唯一の女子ルドヴィカ・トレッリ (it:Ludovica Torelli) がグアスタッラ女伯(Contessa di Guastallaとなったマントヴァ公ゴンザーガ家出身傭兵隊長(コンドッティエーレ)フェッランテ1世 (it:Ferrante I Gonzaga) は、ポー川河畔のこの豊かな都市着目し、自らの家門所有することを図った1539年10月3日、フェッランテ1世ルドヴィカから 22,280スクーディの金で伯爵領を買い取って神聖ローマ帝国併合した1541年ミラノ公国からの独立宣言したフェッランテ1世対し皇帝カール5世グアスタッラ正式な領有権認めたグアスタッラゴンザーガ家初代フェッランテ1世その子孫)は、207年わたってこの領土治めた。この時期グアスタッラ最大繁栄期迎え、その勢威同時代諸国家とも肩を並べようになった領主グエルチーノトルクァート・タッソジョヴァンニ・バッティスタ・グァリーニなどの芸術家のパトロンとなったグアスタッラ造幣局1746年までこの街は独自の貨幣発行していた)では、ガスパロ・モーラ (it:Gasparo Mola) が働いていた。3代目のフェッランテ2世 (it:Ferrante II Gonzaga) は1621年グアスタッラ公爵昇叙された。グアスタッラ公国グアスタッラ公爵領)の領土広がり、フェッランテ2世レッジョーロを、4代目チェーザレ2世 (it:Cesare II Gonzaga) はドーゾロルッザーラそれぞれ領土加えた1627年ゴンザーガ家宗家であるマントヴァ公爵家の直系絶えると、マントヴァ公位はゴンザーガ家別の分家ヌヴェール公爵家)のカルロ1世フランス後ろ盾として継承するが、フェッランテ2世はこれに異を唱え、オーストリア・スペインを後ろ盾としてマントヴァ公位の相続主張しマントヴァ継承戦争イタリア語版英語版)(1628年1631年)に発展した17世紀終わりまで、グアスタッラの町は、グアスタッラ公国首都として一定の重要な役割担っていた。

※この「グアスタッラ伯国/公国」の解説は、「グアスタッラ」の解説の一部です。
「グアスタッラ伯国/公国」を含む「グアスタッラ」の記事については、「グアスタッラ」の概要を参照ください。

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