グアダラハラの戦い
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1937年3月9日、ベニート・ムッソリーニが反乱軍支援のため派遣したイタリア軍4個師団(リットリオ師団、「黒シャツ」師団、「黒い焔」師団、「黒い矢」師団)と反乱軍1個師団、モロッコ人中心の外人部隊がマドリード北東80kmに位置する衛星都市グアダラハラを攻撃した。 これに対し、エンリケ・リステル将軍は共和国軍4個師団をもって第4軍団を編成し、グアダラハラ郊外に防衛線を敷いた。 翌3月10日、第12国際旅団のガリバルディ大隊(イタリア人中心)を先頭に、共和国軍は進撃中のイタリア軍を奇襲し、これを壊滅させた。ガリバルディ大隊の義勇兵たちはイタリア語でイタリア兵に「我々はガリバルディ大隊だ」と呼びかけ、イタリア兵たちは次々と投降した。イタリア軍は補給部隊を差し向けたが、ソビエト連邦から送られてきたポリカルポフI-16戦闘機、ツポレフSB爆撃機がこれを空中から攻撃し、撃退した。 この戦いでイタリア軍は2000人の戦死者、300人の捕虜を出し、大量の文書を残したまま遁走した。翌日スペイン共和国政府は、イタリアがスペイン内戦に軍事介入している事実を国際連盟に電報で報告した。 以後フランコは、イタリア人に重要な行動を任せなかった。国民戦線軍(反乱軍)はマドリード制圧を一時棚上げにした。そのため、内戦が終了する三日前まで、マドリードは共和国政府の掌中に握られていた。
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