フアド・ムズロビッチとは? わかりやすく解説

フアド・ムズロビッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/06 23:26 UTC 版)

フアド・ムズロビッチ
名前
ラテン文字 Fuad Muzurović
基本情報
国籍 ボスニア・ヘルツェゴビナ
生年月日 (1945-11-03) 1945年11月3日(79歳)
出身地 ビイェロ・ポリェ
選手情報
ポジション DF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1964-1974 サラエヴォ 265 (1)
1975 イェディンストヴォ・ビイェロ・ポリェ
通算 265 (1)
監督歴
1977-1981 FKサラエヴォ
1983-1984 FCプリシュティナ
1985-1986 FCプリシュティナ
1987 アダナ・デミルスポル
1991-1992 FKサラエヴォ
1993-1996 FKサラエヴォ
1995-1998 ボスニア・ヘルツェゴビナ
1998 アダナスポル
1999 アル・アラビ・ドーハ
2001-2002 FKサラエヴォ
2002 アル・マスリ
2004 セレッソ大阪
2006-2008 ボスニア・ヘルツェゴビナ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フアド・ムズロビッチFuad Muzurović1945年11月3日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のサッカー選手、サッカー指導者。

略歴

現役時代はFKサラエヴォでプレーし、ユーゴスラビア代表も経験した。なお、ユーゴ代表の時にはナドベザ・ペーターとも一緒にプレーしている。

引退後は古巣のFKサラエヴォのコーチ・監督(計4回)やボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督など、指導歴は豊富である。2004年にナドベザが狭心症の発作を起こし、就任が決まっていたセレッソ大阪の監督を辞退したことを受け、「友人であるナドベザを助けたい」思いからC大阪の監督に就任した。

しかし監督就任が決まったのがC大阪の練習開始前日という慌ただしさで明らかに準備不足だったこともあり開幕から低迷。公式戦3試合(リーグ戦2試合・ナビスコカップ1試合)で2敗1分けとなると、チームとの方針の違いもありあっさり解任されてしまった。シーズン開幕後、公式戦3試合での退任は当時のJリーグ史上最短であった[注釈 1]

2006年から2007年までは、母国のボスニア・ヘルツェゴビナ代表監督を務めていた。

クラブ歴

監督歴

タイトル

選手時代

FKサラエヴォ

監督時代

FKサラエヴォ

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 同一シーズン限りだと2006年横浜FC監督の足達勇輔がJ2第1節終了後に解任され、記録更新している。足立は2005年シーズンを指揮しているため公式戦(リーグ戦44試合・天皇杯2試合)通算を合わせると最短ではない。その後、2021年にカマタマーレ讃岐監督の上野山信行が公式戦2試合で退任している(暫定は除く)。

出典

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