ドラギシャ・ビニッチとは? わかりやすく解説

ドラギシャ・ビニッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 09:06 UTC 版)

ドラギシャ・ビニッチ
名前
愛称 ビナ(Бина, Bina)、タイガー
ラテン文字 Dragiša Binić
キリル文字 Драгиша Бинић
基本情報
国籍 セルビア
生年月日 (1961-10-20) 1961年10月20日(62歳)
出身地 クルシェヴァツ
身長 186cm
体重 78kg
選手情報
ポジション FW
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1983 ナプレダク 20 (3)
1983-1987 ラドニチュキ・ニシュ 101 (20)
1987-1988 レッドスター・ベオグラード 27 (13)
1988-1989 スタッド・ブレスト 29 (18)
1989-1990 レバンテ 7 (0)
1990-1991 レッドスター・ベオグラード 27 (14)
1991-1993 スラヴィア・プラハ 19 (8)
1993-1994 APOELニコシア 14 (10)
1994 名古屋グランパスエイト 8 (5)
1995 鳥栖フューチャーズ 6 (5)
通算 258 (96)
代表歴
1990-1991 ユーゴスラビア 3 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ドラギシャ・ビニッチセルビア語: Драгиша Бинић, ラテン文字転写: Dragiša Binić1961年10月20日 - )は、セルビア(旧ユーゴスラビア)の元サッカー選手。ポジションはフォワード

経歴

国内外の数クラブを経て、1990年に古巣レッドスター・ベオグラードに復帰。1990-91シーズンのUEFAチャンピオンズカップ優勝に貢献するも、その後に審判への唾吐き事件を起こして出場停止を食らい、夏にチェコSKスラヴィア・プラハへ売却された。

1994年7月にドラガン・ストイコビッチと共にJリーグ名古屋グランパスエイトへ移籍。Jリーグデビューから2戦目の、8月27日のレッズ戦でJリーグ初ゴールを含む2ゴールを挙げた[1]ゴードン・ミルン監督からの評価が低く、8試合に出場して、5ゴールと[1]、活躍の割に出場機会は少なかった。そのためマスコミ陣の前で公然とミルン監督を批判したこともあった。 翌1995年JFL鳥栖フューチャーズへ移籍。ここでもイヴァン・チャブリノヴィッチ監督と衝突して退団。そのまま引退している。

ユーゴスラビア代表としては1990年から1991年まで3試合に出場した[2]

引退後は、友人でもあるアルカン(セルビアの民兵組織「タイガー」の隊長。2000年暗殺)がオーナーを務めていたクラブFKオビリッチのディレクターに就任している。

エピソード

100mを10秒台で走るなど、スピードに優れ[3]、抜群の才能持つ反面、気性の荒さでも知られたが、チームメイトからの信頼は厚く、特に森山泰行とはニックネームで呼び合う仲だった(ちなみに彼が森山に名付けたニックネームは「ターボ」)。

虎の入れ墨をしていたことから「タイガー」のニックネームで呼ばれていた。

息子のヴラダン・ビニッチもプロサッカー選手。

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 リーグ杯 天皇杯 期間通算
1994 名古屋 - J 8 5 0 0 0 0 8 5
1995 鳥栖F 10 旧JFL 6 5 - 0 0 6 5
通算 日本 J 8 5 0 0 0 0 8 5
日本 旧JFL 6 5 - 0 0 6 5
総通算 14 10 0 0 0 0 14 10

脚注

  1. ^ a b ビニッチ”. data.j-league. 2021年1月13日閲覧。
  2. ^ Binić Dragiša” (セルビア語). reprezentacija.rs. 2024年1月16日閲覧。
  3. ^ サッカーマガジン 1994年6月22日 no.459号 120-121

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