百年戦争初期
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「ウィンチェルシーの海戦」の記事における「百年戦争初期」の解説
1337年に英仏間で百年戦争が勃発すると、1340年に両国の大艦隊同士が激突したスロイスの海戦でイングランド軍がフランス軍を破った。一方、内陸部では両者とも決定的な勝利をつかめなかったが、1346年にフランス軍はイングランド軍にクレシーの戦いで大敗を喫し、ドーバー海峡を望む重要港湾都市カレーも翌年に陥落した(カレー包囲戦)。カレーを確保したことにより、イングランド軍はフランス北部での軍事活動が容易になった。1348年、ヨーロッパで黒死病(ペスト)が大流行し、打撃を受けた両国は和平を模索し始める。そんな中、1350年8月22日にフィリップ6世が死亡し、息子のジャン2世が即位する。
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百年戦争初期
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「カーンの戦い (1346年)」の記事における「百年戦争初期」の解説
1337年に英仏間で勃発した百年戦争は、1340年6月にスロイスの海戦でイングランド軍が勝利したが、フランドル上陸後はフランス軍が大規模な会戦を避けたため、それ以上の戦果を挙げられずに両国は2年間の休戦をした(1343~1345年、マルトワの休戦)。一方、1341年にブルターニュ公国の相続をめぐりブルターニュ継承戦争が始まり、抗争を始めたモンフォール家(英語版)とブロワ家にそれぞれ英仏が肩入れしたため、代理戦争の様相を呈した。百年戦争の休戦期間にもブルターニュでは交戦状態が続き、イングランドは休戦終了までブルターニュに前線を確保することができた。 1346年7月、イングランド王エドワード3世はプリンス・オブ・ウェールズになったばかりの16歳の息子エドワード黒太子を連れて本格的なフランス侵攻に乗り出した。7月12日にサン=ヴァースト=ラ=ウーグに上陸した兵力は12,000~15,000人で、イングランド兵、ウェールズ兵、ドイツ人やブルトン人の傭兵のほかにフランス王フィリップ6世の統治に不満を持つノルマンディーの小領主らも集った。
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