百年戦争の再開、政敵の弱体化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 03:24 UTC 版)
「ブルゴーニュ公国」の記事における「百年戦争の再開、政敵の弱体化」の解説
1411年にブルゴーニュ派が、1412年にアルマニャック派が、それぞれイングランドに増援を要請した。これに対し、ヘンリー4世は、消極的な派兵に留めていた。ところが、1413年3月20日にヘンリー4世が崩御し、野心家のヘンリー5世が即位すると、ヘンリー5世は1415年8月にフランスへ再侵攻を開始する。両派閥が対立したまま、10月25日、アジャンクールの戦いでフランスは大敗を喫し、オルレアン公シャルルも捕虜になった。 アルマニャック派は、シャルル6世の王子達をはじめ有力者を喪い、弱体化した。 アルマニャック派の頭目は、王太子(ドーファン)シャルルとなり、パリに政府を立て、母后イザボ―も追放した。ジャン無怖公はイザボーに接近し、1418年にパリに入城して実権を持つとともに、親イングランド政策をとった。ところが、イングランドの進撃は続き、1419年7月31日にブルゴーニュ派のポントワーズが陥落してパリをも窺う情勢になると、ジャン無怖公は王太子及びアルマニャック派との和解を企図する。同年9月10日、シャルル王太子との会談に臨んだ際、ジャン無怖公は、12年前の報復として王太子の側近タンギー・デュ・シャテル(英語版)に殺害される(ジャン無怖公暗殺(英語版))。
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