百年戦争再開と戦況悪化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 15:22 UTC 版)
「エドワード3世 (イングランド王)」の記事における「百年戦争再開と戦況悪化」の解説
しかし再戦後のイングランドの戦況は思わしくなかった。カスティーリャでは1369年3月にデュ・ゲクランらフランス軍の支援を受けるエンリケ2世がペドロ1世を撃破していた。さらにデュ・ゲクランは1370年10月にフランス大元帥に任命されてフランス全軍の指揮官となり、「騎行」を行っていたイングランド軍を12月4日のポンヴァヤンの戦いで破った。さらに1372年にはポワトゥー、オニス(フランス語版)、サントンジュ(フランス語版)の北アキテーヌ三地方がフランス軍に占領された。7月7日にはポワティエ、9月8日にはラ・ロシェルが陥落した。イングランド王の支配領域は急速に縮まった。 1375年7月1日にエドワード3世とシャルル5世はブルージュにおいて2年間の休戦協定であるブルージュ条約(英語版)を結んだ。その間、フランスとの和平交渉に着手したが、平行線に終わり、休戦が切れる前にエドワード3世は崩御することになる。
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