百年戦争開戦とエスプルシャン条約まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 15:22 UTC 版)
「エドワード3世 (イングランド王)」の記事における「百年戦争開戦とエスプルシャン条約まで」の解説
エドワード3世は1338年7月から1340年初頭までフランス北部の低地地方フランドル伯領にあった。 フランドル伯領は当時欧州屈指の富裕な商工地帯であり、基幹産業の毛織物加工の材料である羊毛はもっぱらイングランドに依存していた。エドワード3世はフランスとの開戦を見据えて1336年にフィリップ6世に忠実なフランドル伯ルイ1世を牽制する目的で羊毛輸出を禁止したため、フランドル伯領の諸都市で反英的なフランドル伯に対する不満が高まり、1337年にはヘント有力者ヤコブ・ヴァン・アルテベルデが蜂起を起こして他のフランドル諸都市も巻き込んで、ついにフランドル伯が追放された。そのためエドワードは1338年に苦も無くイングランド軍を率いてフランドルに上陸できた。フランドル諸都市勢力はエドワード3世をフランス王と認め、1339年12月にはイングランドとフランドル諸都市の間に攻守同盟が成立した。 フランドルを足場に1339年9月からフランス王領への侵攻を開始したが、フィリップ6世が応じなかったので本格的な戦闘に発展せず、やがてイングランド軍の軍資金も尽きて、1340年初頭にエドワード3世は臨時課税の議会の審議のためにイングランドへ帰国した。フランドルを発つ際、エドワードの帰国に不安を抱くフランドル諸都市を説得するため、フランスから攻撃があった場合には船と武器を贈ることを約束するとともに、妻と子供を事実上の人質としてルーヴェンに残した。イングランドに帰国後、エドワードは要求した金額を議会から確保している。 その間フランスはエドワードの再上陸を阻むため制海権を握ろうとルーアンからイングランド南岸の攻撃を行った。1340年6月にエドワードがフランドル再上陸を動きを示すと、フランス軍はこれを阻止すべくイングランド軍とスロイスの海戦に及んだが、イングランド軍の勝利に終わった。 そのためエドワード3世はフランドル再上陸に成功し、イングランド軍とフランドル諸都市軍合わせて3万の軍勢を整えたが、サン・トメールの戦いとトゥールネの戦い(英語版)でフランス軍に連敗を喫した。エドワードは多額の債務を抱え、9月25日にはエスプルシャンにおいてフィリップ6世と1342年6月24日までを起源とする休戦協定のエスプルシャン条約(英語版)の締結を余儀なくされた。 フランドルではアルテベルデの力が衰え始めたうえ、スコットランド王デイヴィッド2世がフランスの支援でスコットランドに帰還したことで北部国境がスコットランドに侵犯されるようになり、エドワード3世は危機的状況に立たされるようになった。
※この「百年戦争開戦とエスプルシャン条約まで」の解説は、「エドワード3世 (イングランド王)」の解説の一部です。
「百年戦争開戦とエスプルシャン条約まで」を含む「エドワード3世 (イングランド王)」の記事については、「エドワード3世 (イングランド王)」の概要を参照ください。
- 百年戦争開戦とエスプルシャン条約までのページへのリンク