百年戦争中の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 08:17 UTC 版)
「ロッティンディーン」の記事における「百年戦争中の戦い」の解説
百年戦争中の1377年夏、フランス提督ジャン・ド・ヴィエンヌに率いられた120隻の大艦隊による攻撃を受けた。それに先立ってライの港を焼き払い教会の鐘まで奪っていた彼らは、おそらくルイス修道院を略奪するためにロッティンディーンへと上陸した:9。これに対してルイス修道院長は500人を率いてロッティンディーンへと向かった。しかしこれを察知したフランス軍が騎馬隊300名によって待ち伏せをし、イングランド軍は少なくとも100名を失った。ただこの攻撃ではフランス側にも相当な死傷者が出たため、ルイス自体への攻撃は防ぐことができた:9–10。これらの戦闘を通じて修道院長は部下のジョン・ファルヴスリー卿、トーマス・シャイン卿、従者のジョン・ブローカスらと共に捕虜となった。戦闘による傷を受けたブローカスはその後死亡したが、それ以外の3名は身代金によって解放された。一方でフランス軍が略奪をし、家や畑に火をつけたため村は甚大な被害を受けた。言い伝えによると恐れた村民は教会へと逃げ込んだが、その教会も焼き討ちに遭い中にいた全員が死亡したという:10。
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