ティボー5世_(ブロワ伯)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ティボー5世_(ブロワ伯)の意味・解説 

ティボー5世 (ブロワ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/16 00:42 UTC 版)

ティボー5世
Thibaut V
ブロワ伯
アッコ攻囲戦
在位 1152年 - 1191年

出生 1130年
死去 1191年1月20日
エルサレム王国アッコン
配偶者 シビーユ・ド・シャトー=ルナール
  アリックス・ド・フランス
子女 一覧参照
家名 ブロワ家
父親 ブロワ伯ティボー4世
母親 マティルド・ド・カランティ
テンプレートを表示

ティボー5世(Thibaut V de Blois, 1130年 - 1191年1月20日)は、ブロワ伯シャルトル伯・シャトーダン伯(在位:1152年 - 1191年)。ブロワ伯ティボー4世と妃マティルド・ド・カランティの次男。ティボー善良伯(Thibaut le Bon)と呼ばれた。フランスルイ7世の3番目の王妃アデル・ド・シャンパーニュの次兄。シャンパーニュ伯アンリ1世は兄。

生涯

中世ユダヤ史資料によれば、1171年に起きたヨーロッパ大陸最初の血の中傷を組織だてて指示した。教会主催の裁判の結果、ユダヤ人共同体の30人から31人が火あぶりにされた[1]

ティボー5世はシャルトルを第一の居住地とし、市の城壁を修繕した。実兄アンリ1世や他の貴族たちと共に甥のフランス王フィリップ2世に対する反乱に加わった後、彼は王と和解し、第3回十字軍では王を支えた。彼は1190年夏に聖地に到着し、1191年1月20日、アッコ包囲戦のさなかに亡くなった。

子女

最初シビーユ・ド・シャトー=ルナールと結婚。しかし1164年にルイ7世と最初の王妃アリエノール・ダキテーヌの次女アリックスと再婚(同年にティボー5世の兄アンリ1世とアリックスの姉マリーも結婚)し、7人の子をもうけた。

  • ティボー(? - 1187年) - 夭折
  • ルイ1世(1172年 - 1205年) - ブロワ伯
  • アンリ(? - 1185年) - 夭折
  • フィリップ(? - 1202年) - 夭折
  • マルグリット(1170年 - 1230年) - ブロワ女伯。ルクセンブルク伯・ブルゴーニュ伯オトン1世と結婚。
  • アデライード(生没年不詳) - 1190年、フォントヴロー修道院院長となる
  • イザベル(1180年 - 1247年/1248年) - シャルトルおよびロモランタン女伯。シュルピス3世・ダンボワーズと結婚、ジャン2世・ド・モンミライユと再婚。

脚注

  1. ^ Nissan Mindel (2006年6月16日). “The Martyrs of Blois - (circa 1171) - Jewish History”. Chabad.org / Kehot Publication Society. 2013年6月5日閲覧。
先代
ティボー4世
ブロワ伯
1152年 - 1191年
次代
ルイ1世



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ティボー5世_(ブロワ伯)」の関連用語

ティボー5世_(ブロワ伯)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ティボー5世_(ブロワ伯)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのティボー5世 (ブロワ伯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS