ティボー6世 (ブロワ伯)とは? わかりやすく解説

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ティボー6世 (ブロワ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 04:40 UTC 版)

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ティボー6世
Thibaut VI
ブロワ伯
クレルモン伯
ティボー6世(シャルトル大聖堂のステンドグラス)
在位 1205年 - 1218年

出生 1190年
死去 1218年4月16/22日
配偶者 マティルド・ダランソン
  クレマンス・デ・ロシュ
家名 ブロワ家
父親 ブロワ伯ルイ1世
母親 カトリーヌ・ド・クレルモン
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ブロワ伯ティボー6世フランス語:Thibaut VI, comte de Blois, 1190年 - 1218年4月16/22日)は、ブロワ伯およびクレルモン伯(在位:1205年 - 1218年)。

生涯

ティボー6世はブロワ伯ルイ1世クレルモン伯ラウール1世の娘カトリーヌの間に生まれた[1]

ティボー6世は、マティルド・ダランソン[1]およびクレマンス・デ・ロシュと2度結婚したが、どちらの結婚でも子供は生まれなかった。クレマンスはシャトーダン子爵ジョフロワ6世と再婚した。

ティボー6世はカスティーリャムーア人と戦ったが、遠征の間にハンセン病にかかり、領地に帰った[2]。ティボー6世はラ・フェルテ=ヴィルヌイユにある城で数年過ごした後、1218年に死去した。所領は叔母マルグリットとイザベルが継承した。ブロワの北部はイザベルのためにシャルトル伯領がつくられ、マルグリットが残りのブロワ伯領を継承し、二人はクレルモンをフランス王フィリップ2世に売却した[3]

脚注

  1. ^ a b Peter of Blois 1993, p. 38.
  2. ^ Dickson 2008, p. 50.
  3. ^ Baldwin 1986, p. 342.

参考文献

  • Baldwin, John W. (1986). The Government of Philip Augustus: Foundations of French Royal Power in the Middle Ages. University of California Press 
  • Dickson, Gary (2008). The Children's Crusade: Medieval History, Modern Mythistory. Palgrave Macmillan 
  • Peter of Blois (1993). Revell, Elizabeth. ed. The Later Letters of Peter of Blois. Oxford University Press 
先代:
ルイ1世
ブロワ伯
1205年 - 1218年
次代:
マルグリット
先代:
ルイ1世
シャルトル伯
1205年 - 1218年
次代:
イザベル
先代:
ルイ1世
クレルモン伯
1205年 - 1218年
次代:
フィリップ・ユルプル



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