ロタリンギア
ロタリンギア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 08:41 UTC 版)
詳細は「ロタリンギア」を参照 ロレーヌに先行するロタリンギアは国王ロタール2世(855年 - 869年)治世下では フランク帝国内部での独立した王国であった。その領域は元来、ルートヴィヒ1世の3人の息子間で分割が取り決められたヴェルダン条約で843年に創設された中部フランク王国の一部であった。中部フランクはロタール1世に割り当てられ、それ故にLotharii Regnumと呼ばれた。855年にロタール1世が死ぬと更に三つに分割され、ロタール2世は北部を受け取った。その領域は当時、ブルゴーニュ伯領から北海南部に伸びた広大な領域を含んでいた。この領域はフランスではロレーヌ(Lorraine)として知られ、他方、ドイツでは次第にロートリンゲン(Lothringen)として知られるようになった。アレマン語がかつてロレーヌで話されており、接尾字の-ingenは正確には、比喩的な感覚では"Lotharingen"は"ロタールに属す土地"と表現される。 ロタール2世が後継者を残すことなく没したことで、その領域は870年のメルセン条約で東フランク王国と西フランク王国に分割され、最終的には880年のリブモント条約で全域が東フランク王国の支配下に置かれた。911年の、ルートヴィヒ4世の死で東フランク王国のカロリング朝が絶えると、ロタリンギアは一旦は西フランク王国に吸収されたが、925年に東フランク王ハインリヒ1世によって征服された。宿敵であるユーグ大公との争いが行き詰ったことにより942年に西フランク王ルイ4世は全ロタリンギアの請求権を放棄した。
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