上ロタリンギア(ロレーヌ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 04:05 UTC 版)
「ロレーヌ公」の記事における「上ロタリンギア(ロレーヌ)」の解説
11世紀から12世紀、上ロタリンギア公の位はメッツ伯家(シャトノワ家)が世襲するようになった。下ロタリンギアがブラバントと呼ばれるようになると、こちらは単に「ロートリンゲン」「ロレーヌ」と呼ばれるようになる。この領邦は1766年まで存続した。 1737年、ポーランド継承戦争の結果、ハプスブルク家の女主マリア・テレジアの夫であったロレーヌ公フランソワ3世エティエンヌ(後の神聖ローマ皇帝フランツ1世)は、フランス王ルイ15世の岳父で元ポーランド王のスタニスワフ・レシチニスキ(スタニスラス)にロレーヌ公位を譲った。1766年にスタニスワフが死去すると、ロレーヌ公国はフランスに併合されて消滅した。 その後ロレーヌは、1871年の普仏戦争の結果ドイツ帝国直轄領となり、1919年のヴェルサイユ条約でフランス領に復帰している。
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