ロタリンギアの上下分割
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 04:05 UTC 版)
「ロレーヌ公」の記事における「ロタリンギアの上下分割」の解説
ブルーノの下でロタリンギアは上下に分割された。959年、マトフリート家のゴドフロワが下ロタリンギア辺境伯に、アルデンヌ=バル家のフレデリックが上ロタリンギア辺境伯にそれぞれ任じられた。どちらの辺境伯も965年のブルーノの死とともに大公に格上げされた。以後、ロタリンギアはライン左岸を中心とする上ロタリンギアと、ベネルクスを中心とする下ロタリンギアの2地域に分裂していった。しかし、1033年にアルデンヌ=バル家の上ロタリンギア公フレデリック3世が嗣子なく死去すると、皇帝コンラート2世はアルデンヌ=ヴェルダン家の下ロタリンギア公ゴデロン1世に上ロタリンギアをも与え、上下ロタリンギアはともにゴデロン1世が領することとなった。1044年4月19日にゴデロン1世が死去した際、皇帝ハインリヒ3世はロタリンギアを再び分割し、上ロタリンギアを長子ゴドフロワ3世(髭公)に、下ロタリンギアを次子ゴデロン2世に相続させた。ゴドフロワ3世はこの分割相続をめぐってハインリヒ3世と争ったが、1045年ゴドフロワは降伏し、下ロタリンギア公位はアルデンヌ=ルクセンブルク家(リュッツェルブルク家)のフレデリック(フリードリヒ)に与えられた。ゴドフロワ3世は再びハインリヒ3世と対立し、1047年には自身の上ロタリンギア公位は剥奪され、シャトノワ家のアダルベールに与えられた。以後、上ロタリンギア公位はロレーヌ公位としてシャトノワ家が相続し、アルデンヌ家に戻ることはなかった。公位を失ったゴドフロワ3世は、1054年にトスカーナ辺境伯ボニファーチオの未亡人ベアトリクスと結婚、1057年には弟フリードリヒが教皇ステファヌス9世となり、さらに弟の死後は次期教皇の選出に関与するなど権力を維持し、1065年には下ロタリンギア公位を与えられた。以降、下ロタリンギア公位はアルデンヌ=ヴェルダン家の血縁によって相続されていった。
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