シャルル10世時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 14:10 UTC 版)
「マリー・テレーズ・シャルロット・ド・フランス」の記事における「シャルル10世時代」の解説
1824年、ルイ18世が病死した。アルトワ伯が国王シャルル10世となり、マリー・テレーズは王太子妃となると、叔父ルイ18世によく仕えたように、この叔父(かつ舅)にもよく仕えた。1825年7月24日、差出人不明のマリー・テレーズ殺害予告文を議会で大臣に見せた。いまだに政敵から命を狙われていたとはいえ、彼女を慕う人々の訪問は絶えなかった。王太子妃の身分となっても使用人は45人しか雇わず、質素と倹約を貫いた。そしてベリー公の遺児ルイーズとアンリの面倒を見た。2人は伯母によくなついた。フランスに帰国していたルイ・フィリップを相変わらず嫌っていたが、毎年元日にはオルレアン家の子供たちにプレゼントを贈った。だが、ルイーズとアンリにはかつて自分が母にされたように、多くのおもちゃを見せてから「ありがたみと貧困」の教えを説き、おもちゃを送り返した。子供たちはこれをよく理解し、不満は口にしなかった。孫たちの様子はシャルル10世を満足させた。
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