シャルリー・エブド襲撃事件・パリ同時多発テロ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 02:09 UTC 版)
「パトリック・プルー」の記事における「シャルリー・エブド襲撃事件・パリ同時多発テロ事件」の解説
2015年1月7日のシャルリー・エブド襲撃事件の際は、真っ先に駆けつけて救命に当たった。翌8日にBFM TVに出演し、「(電話を受けてから)3分後に現場に到着して救命に当たったが、頭を撃たれていて、もうどうしようもなかった。仲間を助けることができなかった」と泣き崩れ、「(犯人らは)シャルリー・エブドだけでなく民主主義を破壊しようとしたのだ … 新聞を続けなければならない。やつらを勝たせるわけにはいかないのだから」と語った。 また、この10か月後のパリ同時多発テロ事件の際にも、サンタントワーヌ病院やピティエ=サルペトリエール病院の救急医療センターを中心に医療スタッフを編成・統括したのがパトリック・プルーだった。「医師や看護士らが勤務時間外にもかかわらず自発的に出勤 … 休暇中もしくは引退した医師や看護士までが続々とやってきた…c緊急医療室には、「どうしたら協力できるか」との問い合わせの電話も相次いだ」。まるで「戦場の殺戮のようだ」、「実弾に撃たれた人間が次々と運ばれてくる・・・こんな光景は見たことがない・・・野戦病院のようだ」と、事件の翌々日、BFM TVで現場の様子を語った。
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