ポリニャック公爵夫人ヨランド・ド・ポラストロン
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ヨランド・マルティーヌ・ガブリエル・ド・ポラストロン(仏: Yolande Martine Gabrielle de Polastron, comtesse puis duchesse de Polignac, marquise de Mancini, 1749年9月8日 - 1793年12月9日)は、フランス王ルイ16世の王妃マリー・アントワネットの寵臣。ポリニャック伯爵夫人、のち公爵夫人。ブルボン朝末期の上流社交界最高の美女の1人と言われ、寵臣として得た富や特権の独占と浪費によって多くの敵を作った[1][2]。
- 1 ポリニャック公爵夫人ヨランド・ド・ポラストロンとは
- 2 ポリニャック公爵夫人ヨランド・ド・ポラストロンの概要
ポリニャック伯夫人
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「ベルサイユのばら」の記事における「ポリニャック伯夫人」の解説
ジュール・ド・ポリニャック伯爵の妻。アントワネットから寵愛されている貴婦人。ファーストネーム「マルティーヌ・ガブリエル」を長らく明かされなかったが、アンドレが調べていてロザリーの実母だと判明した。婚家は宮廷への出入りは認められていたが、多額の借金を抱えて貧しかった為、王妃に言葉巧みに親族の昇進をねだったり、賭博を勧めて大金を巻き上げたりと優しげな外見に反してその本性は強欲な野心家。邪魔者であるオスカルの殺害も何度か図っている。舞踏会で再会した時はロザリーが少女時代にサン・レミー男爵に孕まされて産んだ我が子だとは気づかなかったが、後に娘だと知り自身が馬車で轢き殺した女性こそ、ロザリーを引き取り育ててくれた恩人ニコールであったことを悟った時はニコールとロザリーに対する冷酷な所業を悔いていた。
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