青野聰とは? わかりやすく解説

あおの‐そう〔あをの‐〕【青野聡】


青野聰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/03 05:44 UTC 版)

青野 聰
(あおの そう)
生誕 (1943-07-27) 1943年7月27日(82歳)
日本 東京府東京市(現・東京都世田谷区梅丘[1]
職業 小説家
国籍 日本
最終学歴 早稲田大学第一文学部中退
活動期間 1971年 -
代表作 『愚者の夜』(1979年)
『女からの声』(1984年)
『人間のいとなみ』(1987年)
『母よ』(1991年)
主な受賞歴 芥川龍之介賞(1979年)
野間文芸新人賞(1984年)
芸術選奨(1988年)
読売文学賞(1992年)
紫綬褒章(2008年)
親族 青野季吉(父)
備考 佳村萠(元配偶者)
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青野 聰(あおの そう、1943年7月27日[2] - )は、日本の小説家、元多摩美術大学教授。

来歴

東京都世田谷区梅丘出身。文藝評論家青野季吉と松井松栄の三男として生まれる[1][2]。季吉は妻みづほがいた[1]。2歳で母を喪い、継母に育てられる[1]

世田谷区立世田谷小学校世田谷区立桜木中学校を経て、1959年早稲田大学高等学院に入学、小説を乱読、アメフト部に所属。

1960年青野家に入籍。1966年早稲田大学第一文学部演劇専修科中退。ヨーロッパ北アフリカ諸国を放浪した後、1971年、「早稲田文学」誌上にてデビュー。

『母と子の契約』(『文藝』1978年11月号掲載)が1979年1月発表の第80回芥川龍之介賞の候補となり、新世代の作家として注目される。『愚者の夜』(『文學界』1979年6月号掲載)が同年7月発表の第81回芥川賞を受賞。

1984年『女からの声』で野間文芸新人賞[3]1988年『人間のいとなみ』で芸術選奨文部大臣賞1992年『母よ』で読売文学賞受賞。

1991年湾岸戦争への自衛隊派遣に抗議し、柄谷行人中上健次津島佑子田中康夫らとともに『湾岸戦争に反対する文学者声明』を発表した。

文學界新人賞三島由紀夫賞平林たい子文学賞などの選考委員を務めた。1997年より2014年まで多摩美大教授。2008年紫綬褒章受章。子供は男の子4人。長男、次男はそれぞれ違う母親である。

著作

翻訳

脚注

  1. ^ a b c d 青野聰」『日本大百科全書(ニッポニカ)』https://kotobank.jp/word/%E9%9D%92%E9%87%8E%E8%81%B0コトバンクより2026年3月30日閲覧 
  2. ^ a b 青野聰」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E9%9D%92%E9%87%8E%E8%81%B0コトバンクより2026年3月30日閲覧 
  3. ^ 野間文芸新人賞 過去の受賞作品一覧”. 講談社. 講談社. 2026年4月3日閲覧。

関連項目

参考文献

  • 講談社文芸文庫『母よ』年譜



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