藤井康栄
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藤井 康栄(ふじい やすえ、女性、1934年[2]〈昭和9年〉 - )は、日本の編集者・昭和史研究家[6]。北九州市立松本清張記念館名誉館長。旧姓大木[1]。父は詩人の大木惇夫[4]。編集者・文芸エッセイストの宮田毬栄は次妹[4]、俳人の大木あまりは末妹[4]。夫は歴史家の藤井忠俊[7]。
注釈
出典
- ^ a b 加藤 2004, p. 162
- ^ a b c d e f g h i j k 藤井 2002, 奥付
- ^ a b 北九州市立松本清張記念館 2016, p. 8
- ^ a b c d e f 「大木幸さん死去」『朝日新聞』朝日新聞社、1998年12月22日 東京夕刊、23面。
- ^ a b c d e f 「この人 松本清張記念館の初代館長になった 藤井康栄さん 先生とは糸で結びついていたような気がする」『中日新聞』中日新聞社、1998年8月22日 朝刊、3面。
- ^ 「2.26事件で死刑の士官候補生の手紙 妻への思い切々と 事件から60年」『産経新聞』産業経済新聞社、1996年1月31日 東京夕刊、3面。
- ^ a b c 「本と旅する 西綾瀬 東京都(2の2)真相迫った作家の執念」『北海道新聞』北海道新聞社、2016年10月16日 全道朝刊、2面。
- ^ 藤井康栄「松本清張 - 生涯原稿十二万枚」『文藝春秋』第91巻第1号、文藝春秋、2013年1月1日、 195-197頁、 NCID AN00278208。
- ^ a b c d e f g h i 田麦編 2017, pp. 85–88
- ^ 「「松本清張記念館」の人気は全国区「友の会」に400人 /福岡」『朝日新聞』、2000年11月23日 福岡朝刊、35面。
- ^ 「参加者を募集 ふくおか県総合」『西日本新聞』西日本新聞社、2001年1月12日 朝刊、27面。
- ^ 小川祥平「戦争へと突き進む戦前日本の深層 松本清張は空白の時代に斬り込んだ 清張記念館で企画展「昭和史発掘への招待」」『西日本新聞』、2013年4月12日 朝刊、11面。
- ^ 「大波小波 文学館企画展の図録を一堂に」『中日新聞』、2012年10月26日 夕刊、7面。
- ^ a b 三木陽介「学校と私 人生を左右した8.15の記憶 松本清張記念館館長・藤井康栄さん」『毎日新聞』毎日新聞社、2009年7月11日 東京朝刊、18面。
- ^ a b 重里徹也「『松本清張の残像』刊行 藤井康栄さんに聞く」『毎日新聞』、2002年12月24日 東京夕刊、6面。
- ^ 藤井 2002, p.10.
- ^ 『現代日本人名録 2002』 4巻(新訂)、日外アソシエーツ、2002年1月28日、136-137頁。ISBN 978-4-8169-1695-3。
- ^ 藤井 2002, pp.9-13.
- ^ a b 藤井 2002, pp.13-20
- ^ 藤井 2002, p.23.
- ^ 「松本清張没後10年、イベント相次ぐ ドラマ化・小説復刊も」『朝日新聞』、2002年7月3日 東京夕刊、13面。
- ^ 佐藤正昭「人ひととき 松本清張記念館館長 藤井康栄さん」『読売新聞』読売新聞社、2002年3月16日 西部夕刊、6面。
- ^ 「ブックエンド 巨人・松本清張に迫り読み応え」『毎日新聞』、1992年9月28日 東京朝刊、11面。
- ^ 「斜断機 松本清張は幸せだった」『産経新聞』、1992年10月1日 東京夕刊、4面。
- ^ 「ひと 4日オープンした「松本清張記念館」館長 藤井康栄(ふじい・やすえ)さん」『西日本新聞』、1998年8月5日 朝刊、3面。
- ^ a b 「来月に清張氏“3回忌番組”テレビ朝日/フジ・関西系」『産経新聞』、1994年7月23日 東京夕刊、4面。
- ^ a b c 田麦編 2017, pp. 97–99
- ^ a b 「「二・二六事件=研究資料」が完結 松本清張氏の代表作の別巻」『朝日新聞』、1993年3月4日 東京夕刊、19面。
- ^ 岡崎満義「「昭和史発掘」の取材現場から 回想の松本清張」『文藝春秋』第70巻第11号、文藝春秋、1992年10月20日、 92-101頁、 NCID AN00278208。
- ^ a b 田中 1999, 編集後記
- ^ 永井芳和「とれんど98 なぜ、清張とマナーか」『読売新聞』、1998年10月24日 大阪朝刊、21面。
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