藤井幸槌とは? わかりやすく解説

藤井幸槌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 21:33 UTC 版)

藤井幸槌

藤井 幸槌(ふじい こうつち、1864年2月12日文久4年1月5日) - 1927年4月17日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

山口県出身。藤井由助の二男として生れる。1886年(明治19年)6月、陸軍士官学校(旧8期)を卒業し、歩兵少尉に任官、歩兵第10連隊付となる。近衛歩兵第1連隊付などを経て、1892年(明治25年)12月、陸軍大学校(8期)を卒業した。

1894年(明治27年)4月、陸士教官心得となり、後備歩兵第3連隊中隊長心得、陸士教官、台湾総督府参謀、同陸軍部課員、参謀本部第3部員などを経て、1900年(明治33年)10月、陸軍少佐に進級し近衛歩兵第4連隊付となった。参謀本部員、兼陸大教官などを歴任し、1904年(明治37年)2月、第12師団兵站参謀長に発令され日露戦争に出征。第3軍兵站参謀長、鴨緑江軍兵站参謀長を歴任。

1906年(明治39年)5月、参謀本部付となり、第6師団参謀長を経て、1907年(明治40年)11月、陸軍大佐に進み歩兵第22連隊長に着任。歩兵第3連隊長、近衛師団参謀長を歴任し、1912年(明治45年)4月、陸軍少将に進級し歩兵第7旅団長に就任。独立守備隊司令官を経て、1916年(大正5年)8月、陸軍中将となり第7師団長を拝命しシベリア出兵に従軍。1919年(大正8年)11月、近衛師団長に就任し、1922年(大正11年)2月に待命となり、同年5月、予備役に編入された。

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

  1. ^ 『官報』第1035号「叙任」1886年12月10日。
  2. ^ 『官報』第3671号「叙任及辞令」1895年9月21日。
  3. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  4. ^ 『官報』第8684号「叙任及辞令」1912年6月1日。
  5. ^ 『官報』第1236号「叙任及辞令」1916年9月12日。
  6. ^ 『官報』第1858号「叙任及辞令」1918年10月11日。
  7. ^ 『官報』第2784号「叙任及辞令」1921年11月11日。
  8. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1896年4月23日。
  9. ^ 『官報』第2046号「叙任及辞令」1919年5月31日。
  10. ^ 『官報』第2612号「叙任及辞令」1921年4月19日。
  11. ^ 『官報』第2858号・付録、「辞令」1922年02月14日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。




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