チェコスロバキア【Czechoslovakia】
チェコスロバキア
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チェコスロバキア(チェコ語: Československo、スロバキア語: Česko-Slovensko)は、1918年から1992年にかけて中央ヨーロッパに存在した連邦国家である。
- 1 チェコスロバキアとは
- 2 チェコスロバキアの概要
チェコスロバキア共和国
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「スロバキア人」の記事における「チェコスロバキア共和国」の解説
1918年、第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国の苦戦が続く中、トマーシュ・マサリクによるスラブ系民族の独立運動が進展した。マサリクはチェコ出身だったが、父親がスロバキア人で、ボヘミア・モラビア・スロバキアの帝国北西部地域を統合したスラブ国家の独立を求めていた。10月18日にマサリクがチェコスロバキアの独立を宣言すると、ほどなくオーストリア・ハンガリーは連合国側に降伏し、帝国は滅亡した。 スロバキア人は新しいチェコスロバキア共和国でチェック人・モラヴィア人と並ぶ主要民族の一つとなり、スロバキア人としての自覚が高められた。一方、スロバキアはチェコより人口が少なく、農業中心の経済構造もチェコとの格差の原因になったため、スロバキア人の中には不満を持つ者も多く、スロバキア人民党による民族自決の主張が支持された。また、ミュンヘン協定とその後の第一次ウィーン裁定により、南部スロバキアのハンガリー王国への割譲が決定されるとスロバキア人の怒りは沸騰し、共産党を除くすべての政党がスロバキア人民党に合流した。
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