ズデーテン・ドイツ人党とは? わかりやすく解説

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ズデーテン・ドイツ人党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/14 15:47 UTC 版)

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ズデーテン・ドイツ郷土戦線(1933年-1935年4月)
Sudetendeutsche Heimatfront

ズデーテン・ドイツ人党(1935年4月-1935年11月)
Sudetendeutsche Partei
ズデーテン・ドイツ人とカルパティア・ドイツ人党(1935年11月-1938年)
Sudetendeutsche und Karpatendeutsche Partei
党首 コンラート・ヘンライン
創立 1933年10月1日 (1933-10-01)
解散 1938年11月5日 (1938-11-5)
合併元 ドイツ国民社会主義労働者党
ドイツ民族党
合併先 国民社会主義ドイツ労働者党
本部所在地 アシュ、後にヘプに移転[1]
機関誌 『時代』(Die Zeit
準軍事組織
党員・党友数 1,350,000人(1938)
政治的思想 国民社会主義
 • ドイツ民族主義
 • 汎ゲルマン主義
政治的立場 極右
公式カラー    
党旗

党旗

ズデーテン・ドイツ人の旗
チェコスロバキアの政治
チェコスロバキアの政党一覧
チェコスロバキアの選挙
スデーテン・ドイツ人党の党大会
演説しているのはカール・ヘルマン・フランク

ズデーテン・ドイツ人党(ズデーテン・ドイツじんとう、ドイツ語:Sudetendeutsche Partei、略称SdP、チェコ語:Sudetoněmecká strana)は、戦間期のチェコスロヴァキアで結成されたドイツ人政党。当時、ズデーテン地方に300万以上いたドイツ系住民から強い支持を受けていた。

1933年コンラート・ヘンラインによって創設されたズデーテン・ドイツ郷土戦線(略称SHF 、ドイツ語:Sudetendeutsche Heimatfront 、チェコ語:Sudetoněmecká vlastenecká fronta) が1935年に改称、同年の選挙で、14.7パーセントの得票を獲得して第二党にまで勢力を伸ばした。チェコからの分離を果たすため、ドイツヒトラー政権に接近して激しい運動を行い、ズデーテン問題を国際問題化した。1938年ミュンヘン会談の結果、ドイツによるズデーテン地方併合が成立した。党の目標が達成されると、党は正式に解散し、党員の多くはナチス党に吸収された。

所属した人物

脚注

  1. ^ Kurt Nelhiebel (1962). Die Henleins gestern und heute: Hintergründe und Ziele des Witikobundes. Röderberg. p. 70. https://books.google.com/books?id=0R5IAAAAMAAJ 



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