ズデーテン危機とは? わかりやすく解説

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ズデーテン危機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:36 UTC 版)

ナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体」の記事における「ズデーテン危機」の解説

1938年3月念願オーストリア併合達成したヒトラーは、次の領土的野心チェコスロバキア向けた。そして4月には対チェコ作戦コードネーム“緑の件”)が立案され、次のように軍に指示した。 どんな原因もなく、また正当化余地ないよう青天の霹靂奇襲拒否一時的に外交交渉行い徐々に事態先鋭化しつつ戦争に導く。 戦闘陸軍空軍同時攻撃の必要あり。最初4日間の軍事行動政治的に決定的。もしこの間軍事上の決定的な成功なければ全欧危機突入するのは確実。 上のような公文書出した後、ヒトラー行動開始した。彼は、チェコ国内ドイツとの国境沿いの地域多数ドイツ系住民(ズデーテン・ドイツ人(ドイツ語版))がいることを対チェコスロバキア戦略重要な駒とした。まずオーストリア併合によって勢いづいているズデーテン・ドイツ人にドイツ本国から大々的支援送り自治運動を展開させた。さらに宣伝機関によって「圧迫されているズデーテンドイツ人」という宣伝国内流しドイツ世論をも勢いづけた。しかしチェコスロバキアドイツ動き察知すると軍の動員を行う強硬姿勢見せたドイツ国防軍見通しも慎重であったため、ヒトラーは一旦侵攻見送った。しかし、この事で小国チェコスロバキアヒトラー勝利したという新聞報道各国行われヒトラーチェコスロバキア問題への対応に駆り立てることになったという観測もある。 ヒトラー戦術転換しチェコベネシュ大統領個人を、「ドイツチェコ障害になっているのはドイツ人民族自決権認めようとしないチェコ側の態度である」とした恫喝演説繰り返した。さらに、「事態このまま放置しておけばヨーロッパ中がチェコ頑迷巻き添え喰らうことになる」などと、ラジオ映画フル使って恐怖煽り立てた。そのためズデーテン危機は欧州重要な問題となり、ヒトラーが対チェコスロバキア宣戦を行うという観測強まった9月6日からはニュルンベルクナチス党第10回党大会数日間わたって行われることになっていた。9月12日にはヒトラー演説予定されており、この機に宣戦布告を行うのではないかという報道駆けめぐった9月7日ズデーテン・ドイツ人党党首コンラート・ヘンラインは対チェコスロバキア政府との交渉断絶する通告行った12日ニュルンベルク党大会ヒトラー次のような演説行った。 「ベネシュ氏は策をもてあそんでいる...だがここで問題なのは演説やり方ではなく権利まさしく現に侵害されている権利なのだ! ドイツ人求めているのは、他の全ての民族持っている民族自決権なのであって空虚な決まり文句でない!!」 と述べ立てたこのようにヒトラーヴェルサイユ条約敗戦国押し付けた理屈をうまく逆用し戦争危機回避しながら恫喝外交続けたイギリスの首相チェンバレンドイツ側要求をほとんど呑むことで、戦争危機回避しようとしているのをヒトラー見透かしていたため、さらに次々と要求釣り上げていき、最終的にチェコスロバキア全面降伏迫った

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ズデーテン危機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/12 09:40 UTC 版)

ミュンヘン会談」の記事における「ズデーテン危機」の解説

攻撃決定したドイツは、チェコスロバキア国内への工作開始したまた、戦争準備進めドイツ軍状況世界伝わりズデーテン情勢緊迫増した9月6日ニュルンベルクナチス党第10回党大会開催された。この党大会最中ヒトラーチェコスロバキア対す最後通牒を行うのではないかという観測流れチェコスロバキアからドイツ避難するドイツ人多くなった。9月7日ズデーテンドイツ人党チェコスロバキア政府譲歩案を蹴り交渉打ち切り通告した9月12日ヒトラーはズデーテンドイツ人の公正な処遇求め演説行った宣戦布告はなかったが、翌日9月13日には自治求めドイツ人デモ行って警官隊衝突しプラハ非常事態宣言出される事態となったイギリス政府ヘンダースン駐独大使を介してゲーリング英仏による仲介呼び掛けたり政府からのヒトラーへの報復措置封じるどの様々な呼びかけ行っていた。当時ヒトラー自身は、強気態度取りイギリスの介入あり得ない読んでいたが、内心かなり不安だったようで、ハンス・フランクに「薄氷踏んで深淵を渡る心地だ。だが、深淵越えねばならない。」とその心境吐露している。

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