ヒトラー暗殺事件に関与
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「ヴォルフ=ハインリヒ・フォン・ヘルドルフ」の記事における「ヒトラー暗殺事件に関与」の解説
ヘルドルフがヒトラー暗殺を企む「黒いオーケストラ」グループと最初に接触したのは1938年9月のズデーテン危機の時である。ヨーロッパに再び戦争を起こしかねないヒトラーの強硬な外交姿勢に反発した前参謀総長ルートヴィヒ・ベック、その後任の参謀総長フランツ・ハルダー、ベルリン軍管区司令官エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベンらの間でヒトラー暗殺計画が企てられた。その際、ヴィッツレーベンは暗殺後のクーデタを成功させるには警察の協力が必要不可欠と考え、ヘルドルフの部下のベルリン警察長官代理フリッツ=ディートロフ・フォン・デア・シューレンベルク(ドイツ語版)伯爵と接触。彼を通じ、ヘルドルフや刑事警察長官アルトゥール・ネーベもクーデタへ協力することを表明したのである。 しかしイタリア首相ムッソリーニの調停で有名なミュンヘン会談が開かれた。会議の結果、イギリスとフランスがドイツのズデーテン地方併合を認め、戦争の危機は回避されたのでこの時の暗殺計画は中止された。 その後、1944年7月20日のヒトラー暗殺計画もヘルドルフは協力した。部下の警察部隊をクーデタの予備隊として出動できるよう準備していた。しかしヘルドルフは、暗殺計画の立案者は陸軍であるので、まず彼らが最初に行動を起こすべきで、彼らが行政地区を包囲するなら警察からも応援を出すが、警察が先にやる必要は無い、と考えていた。 暗殺も「ヴァルキューレ作戦」発動による反乱も完全に失敗に終わった7月21日未明、ヘルドルフは自分が陰謀と無関係である事を証明するため、反乱鎮圧本部が置かれていたヨーゼフ・ゲッベルス邸を訪れたが、そのまま逮捕された。
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