ヒトラー暗殺計画とグデーリアン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:47 UTC 版)
「ハインツ・グデーリアン」の記事における「ヒトラー暗殺計画とグデーリアン」の解説
1944年になると、陸軍内での反ヒトラーの動きが活発になりつつあった。装甲兵総監部の参謀長ヴォルフガング・トマーレ(ドイツ語版)少将も反ヒトラーグループであり、ヘニング・フォン・トレスコウ少将とグデーリアンの会談をお膳立てしたが、反ヒトラーグループに不仲のクルーゲが属していると聞いたグデーリアンは激怒し、結局話は流れてしまった。回顧録ではヒトラー暗殺計画について全く知らなかったと述べているが、7月18日には日付こそは聞かされなかったものの、カール・ヘニング・フォン・バルゼヴィッシュ(ドイツ語版)空軍少将から、暗殺計画の存在を伝えられている。 グデーリアンは計画に加担することも、バルゼヴィッシュを告発することもしなかった。19日にはグデーリアンは予定になかった部隊視察に出かけ、トマーレ少将の依頼で、戦車部隊をしばらくベルリンに留めさせた。また7月20日には装甲兵総監部には戻らず、ダイペンホーフの自宅に戻った。この日はまさにヒトラー暗殺未遂事件が発生した当日であり、大木毅は日和見のためであったと見ている。
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