ヒトラー研究に関する諸論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 17:22 UTC 版)
「ヒュー・トレヴァー=ローパー」の記事における「ヒトラー研究に関する諸論争」の解説
トレヴァー=ローパーはアドルフ・ヒトラーがある種の政治目標を持っていたのかどうかに関しての、A・J・P・テイラーやアラン・ブロックの主張に批判の矛先を向けた。1950年代、ヒトラーを「山師」として描いたブロックに対して、ヒトラーを政治的イデオローグだと考えていたトレヴァー=ローパーは残酷なまでに強烈な批判を浴びせた。テイラーが1961年に自身の著作において、ブロックと似たようなヒトラー像を描き出すと、今度はトレヴァー=ローパーとテイラーの間で似たような論戦の応酬が行われた。 アドルフ・ヒトラーがヨーロッパ大陸のみを征服しようとしていたとする大陸制覇論と、世界全体を支配下におこうとしたとする世界制覇論との争いにおいて、トレヴァー=ローパーは大陸制覇論の中心人物だった。彼は世界制覇論は数十年の広いスパンにおけるヒトラーの発言を切り貼りして作り上げられたもので、ヒトラー評価に関する固定的なイデオロギーになろうとしつつある、と主張した。トレヴァー=ローパーは、ヒトラーはヨーロッパを影響下におこうとしていたとする大陸制覇論のみが客観的であると考えていた。 トレヴァー=ローパーは1973年、第1次世界大戦を起こした責任の大部分はドイツにあるとしたジョン・C・G・レール (en) の著書に序文を寄せることで、レールの主張にお墨付きを与えた。トレヴァー=ローパーはその序文の中で、1914年の戦争の勃発は当時の覇権国全ての責任であるという理論に納得している歴史家がイギリスにはあまりに多過ぎる、と書いている。彼はこうした理論が蔓延するようになったのは、ドイツ政府が自国に都合のいい資料ばかりを選択的に公開する政策をとっているためであり、さらにドイツ人の歴史家たちの大半が「自己検閲」という形で政府のこの政策を手助けしている、と続ける。最後にトレヴァー=ローパーは、以前は秘密文書であったドイツの戦争責任を示す2つの文書をレールが発見、公表したことを称賛している。
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