ヒトラー専用機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/17 06:23 UTC 版)
「Ju 290 (航空機)」の記事における「ヒトラー専用機」の解説
1943年11月26日に製造番号:0170のJu 290 A-5がその他多くの新型機や試作機と共に東プロイセンのインステルブルクでアドルフ・ヒトラーに披露された。ヒトラーはこの機の能力に感銘を受け、ゲーリングに自身の専用機にJu 290を所望した。しかし、総統飛行中隊(Fliegerstaffel des Fuehrers、FdF)には、1944年遅くになって元は洋上哨戒部隊FAGr 5の所属機だった製造番号:0192のA-7がようやく割り当てられた。1945年2月にFdFの拠点があったバイエルンのペッキングで改装作業が完了し、登録記号:KR+LWが与えられた。ヒトラー専属パイロットのハンス・バウアがテスト飛行を行ったが、ヒトラーがこの機に乗ることは無かった。 この機体の客室前部には12 mmの装甲と50 mm厚の防弾ガラスに守られたヒトラー用の特別な個室が設けられていた。床には緊急脱出用のハッチが設けられ、ヒトラーの座席にはパラシュートが組み込まれており、緊急の際はヒトラーがパラシュートを着けてからレバーを引くとハッチが開き、そこから脱出するように考えられていた。この機構は等身大のマネキンを使用してテストされた。 ハンス・バウアは1945年3月24日にこの機体でミュンヘン=リーム飛行場へ飛んだが、着陸すると直ぐに空襲警報が鳴り響いた。ハンガーの中に駐機するとバウアーは自宅へ帰った。飛行場に戻ってくるとバウアーはハンガーと機体の両方が米軍の爆撃機の攻撃により破壊されたことを知った。
※この「ヒトラー専用機」の解説は、「Ju 290 (航空機)」の解説の一部です。
「ヒトラー専用機」を含む「Ju 290 (航空機)」の記事については、「Ju 290 (航空機)」の概要を参照ください。
- ヒトラー専用機のページへのリンク