ヒトラー内閣の財務相
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「ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージク」の記事における「ヒトラー内閣の財務相」の解説
ヒトラー内閣においてナチ党員閣僚は首相ヒトラー、内相ヴィルヘルム・フリック、無任所相ヘルマン・ゲーリングの三名のみであった。他はドイツ国家人民党を代表しての入閣者であるアルフレート・フーゲンベルクと鉄兜団を代表しての入閣者であるフランツ・ゼルテを除いて、全て大統領内閣時代からの閣僚たちであった。クロージクもそうである。保守閣僚がナチ党閣僚三人を取り囲んでいた。 クロージクは宣誓の直前になって将来の財政路線についてヒトラーからいくつかの約束を取り付けている。 1933年4月、ヒトラーの介入によりアルトゥーア・ツァルデン(ドイツ語版)次官(のち1944年にゲシュタポに逮捕され自殺)が更迭され、ナチス党の財政専門家であるフリッツ・ラインハルト(ドイツ語版)が次官に就任。ラインハルトは税政などを独断で動かすようになり、実質的に財務省の支配権を握った。しかしフォン・クロージクは、ナチス・ドイツ時代を通じて財務相の地位に留まった。1937年1月30日にはヒトラーよりナチス党員名誉金章を授与され、同時にナチ党に入党している(党員番号3,805,231)。またドイツ国法学会(ドイツ語版)の会員にもなっている。経済相ヒャルマル・シャハトとともにドイツ再軍備計画の監督にあたった。 クロージクは、経済相シャハトと異なり、ヒトラーの反ユダヤ主義政策に反対せず、ユダヤ人排除の法律に携わった。1933年4月7日に公布されたユダヤ人を公務員から排除する「職業官吏再建法」に首相ヒトラーと内相フリックとともに署名している。1938年11月19日には内相フリック、労働相ゼルテとともにユダヤ人を公的な福祉事業から排除する法律に署名した。 1938年の閣議を最後に彼は事務のみをもっぱらとし、以後は政治の場に姿を現すことはほとんどなかった。
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