ヒトラー内閣成立とは? わかりやすく解説

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ヒトラー内閣成立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 13:25 UTC 版)

ナチ党の権力掌握」の記事における「ヒトラー内閣成立」の解説

シュライヒャー去った後、パーペンオスカーマイスナーなどの大統領重臣たちがヒンデンブルクの元を訪れてヒトラー首相任命要請したヒンデンブルクパーペン内閣戻そうとしたが、ヒトラー内閣も可能と考えるようになっていた。ヒンデンブルクは「ではあのヒトラー首相にするのが、わしの不愉快きわまる義務なのかね?」と言って抵抗したものの最後に折れパーペン副首相ヴェルナー・フォン・ブロンベルク中将国防相にすることを条件とした。ヒトラーパーペン副首相とすることを不承不承認めたため、ヒンデンブルクヒトラー引き下がったことを喜びヒトラー内閣承認した翌日1月29日パーペン大統領言葉ヒトラー伝えヒトラー承諾したパーペンによる閣僚リストでは外相ノイラート財務相クロージク、運輸郵政相リューベナハはシュライヒャー内閣からの引き継ぎで、プロイセン内相ゲーリング経済相国家人民党アルフレート・フーゲンベルクだった。 パーペン保守派によってヒトラー確実に封じ込めることができると考えており、懸念に対して「われわれはヒトラー雇ったのだ」と語った。フーゲンベルクは、ヒトラー内閣以外に選択肢はないが、ヒトラー権力制限すべきだと会談述べヒトラー就任反対した鉄兜団に対してヒトラー封じ込め可能だ反論したヒトラー選挙後大統領同意頼らないようにするための全権委任法を通すとパーペン伝え頻繁な国会選挙望まないパーペンヒンデンブルク了承した首相への道が開けたことにヒトラーゲーリングゲッベルス喜びマクダ・ゲッベルス焼いたナッツケーキで祝宴開いた。そこにシュライヒャー使者ヴェルナー・フォン・アルヴェンスレーベン(ドイツ語版)が訪れヒンデンブルクヒトラー首相に指名すれば、軍部クーデターが起こると警告して去ったヒトラー驚きベルリン突撃隊警戒態勢取らせ党員である警察幹部ヴィルヘルム街(官庁街)の占領準備命令した。さらにジュネーブ軍縮会議から帰国中のブロンベルク中将連絡しベルリン駅から大統領官邸直行させた。この措置一揆の発生対応するためと、シュライヒャーとの連絡絶ってブロンベルク確実に味方引き入れるためであった1933年1月30日朝、大統領官邸新内閣の首脳集まった国民社会主義ドイツ労働者党ナチ党)、ドイツ国家人民党鉄兜団連立内閣ヒトラー内閣誕生した首相ナチ党ヒトラー副首相ドイツ国家人民党パーペン就任した首相官邸ヒトラープロイセン州総督就任できなかったことを不満に思い国会選挙をすると主張し、フーゲンベルクと口論になるという一幕もあった。フーゲンベルクはナチ党要求する総選挙反対し、新政府発足遅れたパーペン午前11時までに政府成立しなければシュライヒャーと軍のクーデターが起こると激高した。そこにヒトラーゲーリング到着して選挙後内閣改造はしないと言ってフーゲンベルクを説得したが、彼はなおも納得しなかった。しかしマイスナー大統領待たせてはいけないとたびたび注意し解散については中央党バイエルン人民党とも話し合うとヒトラー告げたため、フーゲンベルクも折れたヒンデンブルク大統領国民的右翼勢力遂に結束したことを歓迎した。 それから新首相親任式が行われたが、大統領通常行う歓迎演説任務説明省略された。ヒトラーその日夕方閣僚に対して共産党禁止すればゼネストとなり軍の動員となるが、それは避けたい最善の策は国会解散し次の選挙政府過半数をとることだと主張したパーペンヒンデンブルク国民による新政権承認必要性ということから、選挙承認した選挙にあたってヒトラーは、パーペン内閣準備していた「ドイツ国民防衛するための大統領緊急令」を発効させ、敵対勢力メディア集会押さえ込むために活用された。 ナチ党員は歓喜し、街に繰り出して行進した夜にゲッベルス演出松明持った突撃隊員が大行進を行った。後に「白いバラ運動起こす反ナチ運動となったショル兄妹の姉・インゲは、「ラジオ新聞今後ドイツのすべてがよい方向に進むであろう」と報じていたと回想している。 ヒトラー内閣首相こそヒトラーであるものの、閣僚パーペン選定したナチ党員の入閣ヴィルヘルム・フリックゲーリングの2名のみであった。さらに内務大臣であるフリックには警察管理権が無いという弱体ぶりで、またゲーリング無任所大臣にすぎなかった。このため外部観測では実権パーペンのものである見られていた。パーペン自身もそのつもりであり、「われわれは彼を雇ったのさ」「わたしはヒンデンブルク信頼されている。二ヶ月もしないうちに、ヒトラー隅っこのほうに追いやられてきいきい泣いているだろう」と語っている。 2月1日ヒトラーラジオ演説で、1919年ドイツ革命以来14年間、共産主義によってドイツ国民汚染されこのままではドイツ崩壊する警告し経済政策によって苦境克服する述べた2月2日ヒトラー中央党との話し合い決裂したとして、早速国会大統領令により解散させた。さらに軍の支持を得るために、ハンマーシュタイン=エクヴォルト兵務局長(参謀本部秘匿名称)宅で軍幹部集めて政策説明行った会談仲介したのは新国防相のブロンベルクであったヒトラーマルクシズムと「悪性腫瘍のような民主主義」の根絶述べた。また「東方における領土征服とその容赦ないドイツ化」(東方生存圏)のために再軍備を行うとした。また軍事組織になるのではないか警戒されていた突撃隊に関しては、軍隊が「唯一の武器所持者であり、その組織手を加えるつもりはない」と話したヴェルナー・フォン・フリッチュフリードリヒ・フロムといった将軍侵略構想不安感覚えたが、海軍エーリヒ・レーダーのように好感持って迎えた将軍存在した。これ以降、この時ヴィルヘルム・フォン・レープ感じたようにヒトラーナチ党軍部取り込み力を入れようになった一方で[[ドイツ国防軍かわって軍となることを目指していた突撃隊幕僚長エルンスト・レーム始めとする突撃隊幹部次第反感募らせていった2月4日、「ドイツ民族保護のための大統領令」が発出され政府による集会デモ政党機関紙統制が行われることになった

※この「ヒトラー内閣成立」の解説は、「ナチ党の権力掌握」の解説の一部です。
「ヒトラー内閣成立」を含む「ナチ党の権力掌握」の記事については、「ナチ党の権力掌握」の概要を参照ください。

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