ナチス・ドイツ期のヴァイマル憲法
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「ヴァイマル憲法」の記事における「ナチス・ドイツ期のヴァイマル憲法」の解説
「国会議事堂放火事件」、「全権委任法」、および「ナチ党の権力掌握」も参照 ヒトラー内閣成立後間もない2月27日、国会議事堂放火事件が発生した。 ヒトラーはヒンデンブルクに迫って民族と国家防衛のための大統領令とドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令(ドイツ語版)の2つの大統領令(ドイツ国会放火事件令)を発出させた。これにより、ヴァイマル憲法が規定していた基本的人権に関する114、115、117、118、123、124、153の各条は停止された。ヒトラーとナチ党はこの大統領令を利用し、反対派政党議員の逮捕、そして他党への脅迫材料とした。また諸州の政府を次々にクーデターで倒し、ナチ党の支配下に置いた。この時点で他の政党には、ナチ党の暴力支配に抵抗するすべはなくなった。 この状況下で制定されたのが『全権委任法』である。ヒトラーは憲法改正立法である全権委任法の制定理由を「新たな憲法体制」(Verfassung)を作るためと説明した。この法律自体ではヴァイマル憲法自体の存廃、あるいは条文の追加・削除自体は定義されなかったものの、政府に憲法に違背する権限を与える内容であった。当時の法学者カール・シュミットはこの立法によって憲法違反や新憲法制定を含む無制限の権限が与えられたと解釈している。こうして事実上ヴァイマル憲法による憲法体制は崩壊した。 しかし、憲法停止が公式に宣言されたことはなく、また1934年2月3日の『ラント直接官吏の任免に関する大統領令』が憲法第46条を根拠としていたように、その後もヴァイマル憲法を根拠とした法令はいくつか発出されている。 1934年1月30日の『国家新構成法(ドイツ語版)』第4条には「ライヒ政府は新憲法を制定できる」という条文が制定されている。同法では、憲法を改正しなければ改廃できない規定になっていた国家参議院の廃止が決定されており、政府が憲法制定行為を手続きなしに行うことが可能になった。以降行われた『国家元首に関する法律(ドイツ語版)』による大統領職と首相職の統合ならびにヒトラー個人への大統領権限委譲も、この『国家新構成法』第4条を根拠としており、ヒトラーは『国家元首に関する法律』の執行布告において、自らの任命が憲法上有効であると言及している。 これ以降、ヒトラーは自らの命令根拠が成文法にあるとは言及しなくなった。ナチス・ドイツ期において憲法は明文化されたものではなく「民族の種に根ざして形成される共同体の生」つまり「民族共同体」こそが憲法とされ、実際の統治に当たっては「民族共同体の意志」を体現する総統による指導が行われることとなっていた。すなわちナチス・ドイツ時代の「憲法体制」とは、アドルフ・ヒトラーの人格を介したナチズム運動と国家との結合という前例のない体制であった。
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