ナチス・ドイツ支配下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 15:08 UTC 版)
「リトアニアの宗教」の記事における「ナチス・ドイツ支配下」の解説
詳細は「リトアニアにおけるホロコースト」を参照 第二次世界大戦中にリトアニアがナチス・ドイツの占領下に入ると、ユダヤ人の多くは特に都市で迫害を受け、虐殺されるかあるいはソ連へ逃亡するなどした。ソ連に逃れた者の中には赤軍に入隊したりKGBの幹部となった者も多い。1941年末までに18万人のユダヤ人が殺され、また1942年半ばまでにユダヤ人の 80 % が殺害されたともいわれる。 リトアニアでホロコーストが起きた背景にはリトアニア系住民の加担があるとの指摘もされる。実際、ナチス・ドイツ当局がリトアニア・ユダヤ人の組織的殺戮を指示、支援しつつ、現地のリトアニア人協力者がその指示のもと計画を実行していった。 リトアニア人がユダヤ人に対するジェノサイドに関与したのにはいくつかの要因が挙げられる。他の中東欧諸国と同様に当時の伝統や価値観には反ユダヤ主義的な要素が含まれていた。また当時のリトアニア人はリトアニア人だけで構成する「純粋な」国民国家を築き上げることを望んでいた。他にも、厳しい経済状況によりユダヤ人の私有財産をめぐって殺害が行われたという側面もあった 。そして何よりユダヤ人はソヴィエト政権に協力していると見られていた。ドイツがリトアニアを支配するまでのあいだ、リトアニアに降りかかった災難のすべてがユダヤ人のせいとされていた。こうしたこともあってリトアニア保安警察(リトアニア語: Lietuvos saugumo policija)などが積極的にホロコーストに関与していった。 他方でユダヤ人の救出に尽力した者も多くいた。数百人のリトアニア人がユダヤ人保護のために危険を冒したとされる。戦後、イスラエル政府はユダヤ人救出のために危険を冒した 723 名のリトアニア人に対して「諸国民の中の正義の人」の称号を与えている。なおこの称号は、当時リトアニアでユダヤ人に査証を発行したことで知られる杉原千畝にも送られている。
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