ナチス・ドイツ最後の元帥・空軍総司令官とは? わかりやすく解説

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ナチス・ドイツ最後の元帥・空軍総司令官

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 07:11 UTC 版)

ローベルト・フォン・グライム」の記事における「ナチス・ドイツ最後の元帥・空軍総司令官」の解説

第二次世界大戦勃発してポーランド侵攻作戦終了すると、中将に昇進して第5航空軍団長任命された。西方電撃戦勝利後の翌1940年7月19日航空兵大将昇進バトル・オブ・ブリテンでも第5航空軍団を率いた1942年4月1日東部航空軍司令官に就任、翌1943年初めに上級大将昇進した東部航空軍同年5月に第6航空艦隊改称され独ソ戦での中央軍集団支援任務としていた。1943年7月ツィタデレ作戦当時グライム配下には730機があった。しかし戦闘での消耗や、交換部品の不足に起因する技術的問題により、翌1944年6月ソ連軍大攻勢の際はわずか50機しか残っていなかった。 敗色濃厚な1945年1月時点でもなお、グライムヒトラーへの忠誠心失っていなかった。「総統信じたことは……間違いだったかもしれない、だがなお彼を信じている。私は裏切り者はなれない。私には出来ない!」と記している。敗戦直前1945年4月23日空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングヒトラーにより一切権限剥奪されたのち、グライム近しい関係にあった女性飛行士ハンナ・ライチュと共にソ連軍の重包囲下にあるベルリンに、対空砲火負傷しながらもシュトルヒ偵察機駆けつけた。ヒトラーグライム忠誠心感激しその場ゲーリング後任としての空軍総司令官任命するとともに、彼を元帥列した。これに対しグライムは「総統とそのお力に非常に励まされました」と答えた。ただし、有名無実司令官職のため大変な危険を冒してまでベルリン呼びつけられたことで呆れていたとも言われている。グライムヒトラーとともに総統防空壕に残ることを希望したが、ヒトラーグライムに対してベルリン脱出して新・空軍総司令官としての職責を果たすように命じた。なお、ヒトラー遺書中でもグライムの名は空軍総司令官として挙げられている。 ベルリン脱出したグライムは、数日後南ドイツハンナ・ライチュと共にアメリカ軍捕虜となったザルツブルク移送されグライムは、そこで自分ソ連引き渡されることを米軍から知らされた。絶望したグライム5月24日ザルツブルク獄中自決した自決使用した毒薬総統地下壕ヒトラーから授かったのだったグライムの墓はザルツブルク共同墓地にある。

※この「ナチス・ドイツ最後の元帥・空軍総司令官」の解説は、「ローベルト・フォン・グライム」の解説の一部です。
「ナチス・ドイツ最後の元帥・空軍総司令官」を含む「ローベルト・フォン・グライム」の記事については、「ローベルト・フォン・グライム」の概要を参照ください。

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