軍用飛行場時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 05:44 UTC 版)
1740年デンマーク統治下のノルウェー陸軍が、ガーデモエンを野営地として利用し始めた。当時はFredericksfeldtと呼ばれており、現在の呼び名は1788年からである。当初は騎兵隊、次いで竜騎兵隊、騎乗海兵隊が利用し、1834年からは歩兵隊、1860年からは砲兵隊も利用するようになった。軍用飛行場としての利用は1912年からであるが、当初はただの広場であった。ナチス・ドイツ支配下ではドイツ空軍がガーデモエンを占領し、格納庫や滑走路(2000mが2本交差)といった施設を建造する。第二次世界大戦後、ノルウェー空軍の主たる飛行場となり、戦闘機中隊3と輸送機中隊1が駐留した。 ガーデモエン空港をオスロを含む東部ノルウェーの主要空港として整備するというアイデアは1946年に遡る。しかし実際には長年の間オスロ南西8kmに位置するオスロ・フォルネブ空港(英語版)が主に利用されており、ガーデモエン空港はフォルネブ空港が霧で利用できない時の代替空港として利用されていた。また民間航空会社の訓練用飛行場として、あるいはゼネラル・アビエーション用の空港としても利用されていた。フォルネブ空港よりも滑走路が長いため、1946年から1952年の間は全ての大陸間航路が発着するなど長距離路線で利用されることがたびたびあったが、フォルネブ空港が拡張されるとすぐにそちらへ移ることを繰り返した。1972年になるとフォルネブ空港の離着陸枠が一杯になり、スカンジナビア航空とブローテン航空を除くチャーター便は全てがガーデモエン空港に移された。それ以上の拡張は困難であり、チャーター便に引き続き国際線をガーデモエン空港に移すか、それとも新空港を建設するかという判断を迫られることになった。
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