大統領権限委譲とは? わかりやすく解説

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大統領権限委譲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 10:20 UTC 版)

2011年イエメン騒乱」の記事における「大統領権限委譲」の解説

サーレハ退陣要求デモが続く中、2011年11月23日にサーレハはサウジアラビアリヤド訪問しアブド・ラッボ・マンスール・ハーディー副大統領らへの30日以内権限移譲などが盛り込まれ湾岸協力会議(GCC)や欧米による調停案に署名した。これによりサーレハ政権12月23日をもって終了し(ただし名目上大統領職にはとどまる)、その後60以内大統領選挙が行われることが確定した。この背景には、長引く紛争による大統領派の弱体化指摘されている。アメリカ日本EUなどはこれを支持する声明発表したが、一方でサーレハは退陣見返りとして訴追免除と身の安全が保障されることとなり、これに反政府派反発しデモは収まらなかった。後継政権首相には元外務大臣野党指導者ムハンマド・サーレム・バーシンドワ指名され12月7日挙国一致内閣の閣僚発表された。12月8日副大統領によって新政府承認された。政府にサーレハの「国民全体会議」のメンバーとともに野党メンバーらも含まれる新内閣の構成は、合意され事項にしたがって国民全体会議」のメンバーには国防相外相石油相、通信相、社会事業相のポスト割り当てられる一方野党側には、内相財務相計画相、情報相のポスト提供された。アブーバクル・アル=キルビー外相およびムハンマド・ナーセル・アフマド・アリー国防相留任首相に予定通り野党側の指導者であるバーシンドワが就任した12月18日にはサナアより政府軍、反政府軍両方撤退開始したGCCなどとの調整に基づき2012年1月21日議会訴追免除可能にする法律可決させ、このため22日にはサナア数千人による抗議デモ発生同日、サーレハは治療の名目アメリカ出国しテレビ演説国民対し謝罪言葉を口にした。 2012年2月21日行われた大統領選挙任期2年間)にはハーディー副大統領のみが立候補。99.8%の得票得て当選し2月25日就任宣誓行った

※この「大統領権限委譲」の解説は、「2011年イエメン騒乱」の解説の一部です。
「大統領権限委譲」を含む「2011年イエメン騒乱」の記事については、「2011年イエメン騒乱」の概要を参照ください。

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