大統領第1期(1830-1832)
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「アナスタシオ・ブスタマンテ」の記事における「大統領第1期(1830-1832)」の解説
1828年12月、ビセンテ・ゲレーロ大統領の下で、ブスタマンテは副大統領に推され、1829年4月1日に就任した。しかしまもなくゲレーロとブスタマンテは対立を深め、同年12月4日にブスタマンテはアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナの支援の下反乱を起こして(ハラパ事変)ゲレーロを追放し、1830年1月1日にブスタマンテは大統領に就任した。 大統領に就任すると、ブスタマンテは保守派の支援の下政敵の自由派を次々と投獄し、秘密警察を使って言論を弾圧した。また、前大統領ビセンテ・ゲレーロをわなにかけ、1831年1月15日に逮捕し、2月14日には銃殺刑に処した。この暴政にハリスコ州、テキサス州、サカテカス州などで緊張が高まり、1832年にはかつてブスタマンテの就任を助けたサンタ・アナと、ゲレーロに追い落とされた正当な大統領選挙の勝者であるマヌエル・ゴメス・ペドラサがベラクルスで反乱を起こした。これを迎え撃ったブスタマンテはプエブラ近郊でサンタアナに敗北し、三者協議の結果ペドラサが大統領に復帰することとなり、ブスタマンテは1833年にフランスへ亡命した。
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