大統領第2期(1837-1839)
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「アナスタシオ・ブスタマンテ」の記事における「大統領第2期(1837-1839)」の解説
詳細は「テキサス独立戦争」を参照 詳細は「菓子戦争」を参照 1836年12月、テキサス独立戦争が起こるとブスタマンテは当時のホセ・フスト・コロ大統領から呼び戻された。保守派が多数を占めていた国会では保守色の強い1836年憲法が採択され、その下でブスタマンテは1837年4月17日、再び大統領に選出された。しかし、戦争によって財政は困窮し、各地で反乱も起きている情勢下でブスタマンテにできることは多くなかった。1838年には、フランス人菓子職人などの訴えにより、度重なる内戦で被害を受けたフランス人への賠償を求めてフランス艦隊が宣戦を布告し、サン・ファン・デ・ウルーアを砲撃しベラクルスを占拠した。きっかけが店を略奪された菓子職人だったため、この戦争は菓子戦争と呼ばれる。さらにグアテマラの将軍ミゲル・グティエレスが南部のチアパス州に侵略を仕掛けてきていた。1839年3月20日、ブスタマンテはタマウリパス州でホセ・デ・ウレアが起こしていた反乱に対するため一時的に大統領の座を退いた。その後、サンタアナとニコラス・ブラボが短い間政権の座に就いた。
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