原子力発電所の発表
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 03:47 UTC 版)
「ウルグアイの原子力」の記事における「原子力発電所の発表」の解説
ゴイアニア事故の1年後にしてチェルノブイリ事故の2年後、ウルグアイはフリオ・マリア・サンギネッティ大統領(第1期)任期中にカナダとの協議を開始して、1988年に原子力に関する協調合意が調印されるまで進められた。この事実は1992年の地球サミットまで知らされなかった。この合意はルイス・アルベルト・ラカージェ大統領の任期中の1992年に、議会で大半が批准された。また、ウルグアイにおけるこの方法を用いた発電の可能性を評価することを目的とした、作業部会が創設された。 原子力発電所の設置は合意で言及されていなかったものの、報告書の第2条項(全政党によって署名され、1992年8月18日の定例会議で衆議院による検討に昇格した)が、先の合意に基づいた法律16.226の施行が引き起こしうる原子力発電所の設置には、法律による承認が必要であることを確立していた。 IAEAからの融資が付いたパソ・デ・ロス・トロスにおける原子力発電所建設の可能性に関する1992年の発表は、懸念不安を生じさせて様々な社会運動が巻き起こった、それはチェルノブイリ災害から間もない時期だったことに一部起因するものだった。この問題について人々に周知させるべく、リベラ市とタクアレンボー市で市民集会が行われ、後者には400人以上が参加した。また、アルティガス市の省庁はこの問題について声明を発表し、パソ・デ・ロス・トロスの地方委員会はこのプロジェクトに反対すると宣言した。パソ・デ・ロス・トロスの子供たちでさえ、ウルグアイ議会の上院議員と下院議員に手紙を送って、原子力施設の設置に反対票を投じた。 約6,000人が抗議のデモ行進を行い、 モンテビデオや国内様々な地域の人々が参加して、ネグロ川に架かる道路橋全体を埋め尽くした。これらの社会的な示威活動は、政党の参加がないまま市民自身によって実施された。これらの運動は、国内での原子力エネルギーの使用を禁止する第27条を含む法律16.832の採択で終了した。
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