フリオ・マリア・サンギネッティ
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フリオ・マリア・サンギネッティ Julio María Sanguinetti |
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フリオ・マリア・サンギネッティ(1995年頃撮影)
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任期 | 1985年3月1日 – 1990年3月1日 1995年3月1日 – 2000年3月1日 |
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副大統領 | エンリケ・タリゴ ウーゴ・バタージャ ウーゴ・フェルナンデス |
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任期 | 2005年2月15日 – 2010年2月15日 2020年2月15日 – 2020年10月20日 |
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任期 | 1972年3月1日 – 1973年6月27日 |
大統領 | フアン・マリーア・ボルダベリー |
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任期 | 1969年9月15日 – 1971年4月2日 |
大統領 | ホルヘ・パチェコ・アレコ |
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任期 | 1963年2月15日 – 1973年6月27日 |
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出生 | 1936年1月6日(88歳)![]() |
政党 | コロラド党 |
出身校 | 共和国大学 |
配偶者 | マルタ・カネッサ |
子女 | フリオ・ルイス・サンギネッティ エマ・サンギネッティ |
宗教 | 不可知論 |
署名 | ![]() |
フリオ・マリア・サンギネッティ・コイロロ(スペイン語: Julio María Sanguinetti Coirolo, 1936年1月6日 - )はウルグアイのジャーナリスト、政治家。1985年から1990年、および1995年から2000年までの2期にわたり、ウルグアイ大統領を務めた。
経歴
1963年に初当選し、1969年にはパチェコ・アレコ政権で産業通商大臣を務めた。1972年に発足したボルダベリー政権下では教育文化大臣に任命された。しかし1973年発足した軍事政権によりその座を剥奪され、以降も次々と要職を解任され、1976年にはあらゆる政治活動を禁じられる。
1981年になって政界への復帰が許されると、サンギネッティは軍事政権と民政移管についての交渉を率いた。交渉は1984年8月3日に合意に至った。
1984年の大統領選挙には31.2%の得票率で当選。その後の1994年の大統領選挙には24.7%の得票率で当選した。
脚注
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固有名詞の分類
ウルグアイの大統領 |
ホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス ホセ・ムヒカ フリオ・マリア・サンギネッティ ガブリエル・テーラ タバレ・バスケス |
ウルグアイの政治家 |
ホセ・バッジェ・イ・オルドーニェス ホセ・ムヒカ フリオ・マリア・サンギネッティ ガブリエル・テーラ タバレ・バスケス |
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