フリオ・マリア・サンギネッティとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 海外の政治家 > ウルグアイの大統領 > フリオ・マリア・サンギネッティの意味・解説 

フリオ・マリア・サンギネッティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 00:40 UTC 版)

フリオ・マリア・サンギネッティ
Julio María Sanguinetti

フリオ・マリア・サンギネッティ(1995年頃撮影)

任期 1985年3月1日1990年3月1日
1995年3月1日2000年3月1日
副大統領 エンリケ・タリゴ英語版
ウーゴ・バタージャ英語版
ウーゴ・フェルナンデス英語版

任期 2005年2月15日2010年2月15日
2020年2月15日2020年10月20日

ウルグアイ東方共和国
第5代 教育文化大臣英語版
任期 1972年3月1日1973年6月27日
大統領 フアン・マリーア・ボルダベリー

ウルグアイ東方共和国
第7代 商工大臣英語版
任期 1969年9月15日1971年4月2日
大統領 ホルヘ・パチェコ・アレコ

任期 1963年2月15日1973年6月27日

出生 (1936-01-06) 1936年1月6日(88歳)
ウルグアイ モンテビデオ
政党 コロラド党
出身校 共和国大学英語版
配偶者 マルタ・カネッサ英語版
子女 フリオ・ルイス・サンギネッティ
エマ・サンギネッティ
宗教 不可知論
署名

フリオ・マリア・サンギネッティ・コイロロスペイン語: Julio María Sanguinetti Coirolo, 1936年1月6日 - )はウルグアイジャーナリスト政治家1985年から1990年、および1995年から2000年までの2期にわたり、ウルグアイ大統領を務めた。

経歴

1963年に初当選し、1969年にはパチェコ・アレコ政権で産業通商大臣を務めた。1972年に発足したボルダベリー政権下では教育文化大臣に任命された。しかし1973年発足した軍事政権によりその座を剥奪され、以降も次々と要職を解任され、1976年にはあらゆる政治活動を禁じられる。

1981年になって政界への復帰が許されると、サンギネッティは軍事政権と民政移管についての交渉を率いた。交渉は1984年8月3日に合意に至った。

1984年の大統領選挙には31.2%の得票率で当選。その後の1994年の大統領選挙には24.7%の得票率で当選した。

脚注

先代
フアン・マリーア・ボルダベリー
ウルグアイ東方共和国大統領
第35代 : 1985 - 1990年
次代
ルイス・アルベルト・ラカジェ英語版
先代
ルイス・アルベルト・ラカジェ英語版
ウルグアイ東方共和国大統領
第37代 : 1995年 - 2000年
次代
ホルヘ・バジェ・イバニェス




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フリオ・マリア・サンギネッティ」の関連用語

フリオ・マリア・サンギネッティのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フリオ・マリア・サンギネッティのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフリオ・マリア・サンギネッティ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS