原子力発電所事故について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 21:32 UTC 版)
「石原慎太郎」の記事における「原子力発電所事故について」の解説
石原は自らを「原発推進論者」であると公言している。東京都知事に就任した翌年の2000年(平成12年)4月26日、東京国際フォーラムで開かれた日本原子力産業会議の第33回年次大会の場において、石原は「完璧な管理技術を前提とすれば、東京湾に原子力発電所(原発)を造っても良いと思っている」などと発言していた。ただし、石原の構想は、東京都の電力依存を軽減するために、(津波や巨大地震をやり過ごせる)フローティングシステムの上に、東芝製の4S炉のような5万キロワットクラスの超小型原発を必要数東京湾に浮かばせるという具体的なものであった。その後、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で福島第一原子力発電所が爆発事故を起こし、大規模な放射能汚染が福島県のみならず東京都民の生活にも深刻な悪影響を及ぼしている状況の中で、石原は同年3月25日に福島県災害対策本部を訪問した際、報道陣の前で「私は原発推進論者です、今でも。日本のような資源のない国で原発を欠かしてしまったら経済は立っていかないと思う」などと発言した。2011年東京都知事選挙において、東国原英夫・渡邉美樹・小池晃など他の立候補者が原発の危険性を強く指摘し、原発の廃止や見直しを訴えていた中、原発の増設・推進に賛成の意を表していた立候補者は石原だけである[要出典]。
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