大統領時代前半(1952年から1957年)
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「カミール・シャムーン」の記事における「大統領時代前半(1952年から1957年)」の解説
1951年のリヤード・アッ=スルフ首相の暗殺、フーリー大統領周辺の汚職で、レバノン政治は混乱したため、1952年、シャムーンは、フーリーに変わる形で、大統領に選出された。 シャムーンの政治スタイルは、スルフが暗殺されたことによって、スルフに代わる政治指導者がスンナ派の中にいなかったことから、ラシード・カラーミー、サーミー・アッ=スルフ、アブドッラー・アル=ヤーフィー、サイーブ・サラームの4人を次々と首相に任命、交代させることで、自らの政策、都合に合わせて、組閣をする自由を持っていた。 その中での功績は、自由な世論を許したことであり、フーリー政権の自由経済政策を継承した。その結果、レバノン経済は繁栄を極め、首都ベイルートは中東で有数の金融センターへと成長した。
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